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Cynthia Street 2002年12月の伝言板

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今年もナマケました 投稿者:五日市のファン  投稿日:2002年12月28日(土)15時25分50秒
今年もお世話になりました。別にナマケるつもりは無かったのですが、皆さんの書き込み
を拝見すると、コンサートにも参加した事がない私には、感心するばかりでして。
来年こそ私達シンシアファンにとって、嬉しいニュースが聞きたいですね。

P.S.
忘年会でキンドーさんが提供されたシンシアの写真集は素晴らしい物らしいですね。
出来る事なら、次回から実費で分けて頂けないですか。

素敵なクリスマス・パーティーでした 投稿者:京平先生の後輩  投稿日:2002年12月24日(火)04時00分44秒
 トナカイさん、キンドーさんをはじめとするスタッフの皆様、ありがとうございました。
初参加なので最初はドキドキでしたが、勇気を出して行ってよかった! 初めて見るシンシアの
貴重なお宝映像は驚きの連続。美しかったあ。TV局でももう残っていないだろうVTRが
今見れるなんて最高です。これ以外にもあるそうですね、すごい!
 そして、ボスさん達当時第一線で活躍されていた沙織ストの方々のお話はそのご苦労振りに
非常に感銘を受けました。何か冷めた現代の若者が忘れている熱いマグマのような情熱を
感じました。こんなナイスなファンの愛情をいっぱい受けていた南沙織という女性は幸せ者ですねえ。
 また、帰りには「こんな貰っちゃっていいの?」というぐらいお土産の山
(蟹座さん、プロレスの著書ありがとうございました)。それもどれもこれも貴重で普通では
手に入らないようなマニアには涙物のグッズばかり。素晴らしいクリスマス・プレゼントでした。
中でも『青春の絆』第17号には恐れ入りました。20年位も前にこんな凄いシンシア本を
作り上げていたなんて! これを読めば、全然シンシア知らない人でも当時のことが
全て分かりますね(特に最後の方に出ている17会の例会写真は非常に興味深いです。
皆さんスリムで若い! 一緒に写っているお子さん達は今では社会人でしょう?)。
恐るべし17会。
 一部の方としか時間の関係上お話できませんでしたが、あっという間の4時間でした。
また参加させてください。

P.S次回はシンシアもぜひ参加してください。驚くこと間違いなしですよ。皆待っています。

「伝説のプロレスファン」南沙織さん掲載ページ 投稿者:蟹座  投稿日:2002年12月23日(月)22時48分02秒
蟹座です。

昨夜の「17会のクリスマスパーティ」、訳が分らないままに
プロレス本が配られていた、という方もいらっしゃるかもしれません(苦笑)

本の最初から読み始めたが「ターザン山本」だとか「パロ・スペシャル」
だとか、やはり訳が分らない、という方もいらっしゃるかもしれません(苦笑)

本の中で、南沙織さん関連掲載ページは
第22話、メインエッセイp200〜203
     サイドエッセイP204〜206

第24話のサイドエッセイ
「出会っていたかもしれない少女」p224〜206

それから、このたび
出版社より、ネット上で「立ち読み」及び「電子販売」を開始しました。

http://www.boon-gate.com/cgi/search/details.cgi?id=11141
で『無料』で「立ち読み」が出来ます。

上記の沙織さん関係ページだけでも覗いて見てください。

あっという間の4時間でした 投稿者:関屋  投稿日:2002年12月23日(月)15時31分16秒
シンシアファンの皆様、こんにちは。
昨日の忘年会では遅刻してしまい、申し訳ありませんでした。
そして「こんなに頂いて良いのだろうか?」と思うほど貴重なお土産の数々。
ボスや蟹座さんのお話にも愛情が溢れていて、大変勉強になりました。
来春の御花見会で、皆様に再びお会い出来る事を楽しみにしております。
シンシアとシンシアファンは、永遠に不滅です!

クリパ盛況でした。 投稿者:トナカイ  投稿日:2002年12月23日(月)10時00分14秒
 17会のクリスマスパーティ(略称クリパ)が、22日に新宿お多幸で開かれました。大変盛況でした。

 参加者は確か23名でした。お多幸の4階を貸切り、午後6時に始めて、終わったのは10時過ぎ。
メチャ盛り上がりました。頼んだおでんは、20鍋近く!

 今回もプレゼントが満載。キンドーさんお手製のA4版20ページのシンシアグラビア写真集。
u3作成の特製ビデオ。私が提供の5/15の沖縄タイムスを、それぞれ全員にプレゼント。
1974年頃シンシアファンクラブが作った布製ポスター、『二十歳ばなれ』と『明星−50年601枚』の
各一冊用意して、希望者に差し上げました。

 蟹座さんからも素敵なプレゼントが。先月出した自書を全員にプレゼントしてくれました
(『伝説のプロレスファン』文芸社 2002年11月15日初版)。どうもありがとうございます。

 今回もビデオ上映会をしました。映像機器を沢山用意。DVD再生可能なノートパソコン
Compaq Evo N1015v、デジタルビデオレコーダー・ビクターGR−DV1、
ビデオプロジェクターNEC・LT260、これらをつないで、スピーカーまで持ち込んで、
30インチほどのスクリーンに映しました。『シンシア・アンソロジー』のDVDに、u3所蔵の
秘蔵ビデオで、シンシアの現役時代のテレビ映像をたっぷり堪能しました。

 ついででてすが、デジタルビデオを上映したいと話があったのが、一昨日の事。
急いでネットのオークションで探して、翌朝10時便で届いたのが当日。値段も手頃でしたし、
便利な世の中です。

 今回参加してくださいました皆さん、ありがとうございました。

クリパ(忘年会とも言う)お世話様でした。 投稿者:ビタミン  投稿日:2002年12月23日(月)04時29分31秒
毎年素晴らしいお土産をありがとうございます。
家へ帰ってからビデオのパッケージをよく見ていたら、ビニールにパックされて
未開封ではないですか。(う〜ん不思議だ)
蟹座さんもありがとうございました。

忘年会、ありがとうございました 投稿者:蟹座  投稿日:2002年12月23日(月)00時38分19秒
今年も、お土産を頂きありがとうございました。

来年は、シンシア生誕50周年だ!
あれ、49年だっけ?

あと、会の席で68年、出現したスナッキ−ガールズに
(小山ルミ、風巻ジュン、吉沢京子のユニット)ついて話が
出ました。私信ですが↓にその写真をアップします。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/9629/snacky.htm
(失礼しました)

“『明星』50年601枚の表紙” 投稿者:トナカイ  投稿日:2002年12月17日(火)23時10分10秒
 今、集英社新書で“『明星』50年601枚の表紙”が発売中です。2002年11月初版、
382ページ、千円です。あの『明星』の表紙を全てカラー写真で紹介しています。
シンシアも2回出てきます。

 1971年11月号(堺正章と二人で)
 1973年 1月号(郷ひろみと二人で)

 http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0170-b/index.html

 10年ごとの○○年代ごとに、10ページほどの解説が付いています。
第3章1970年代のタイトルは、「篠山紀信の創ったもの」。少し引用しますと。

 『1971年の9月号から1981年の9月号までの10年間、『明星』の表紙は
篠山紀信が撮影を担当します。篠山紀信は『明星』の歴史に大きく名を残す人で、
1970年代は「篠山紀信の時代」と言い換えてもいいくらいです。
『明星』の黄金時代は、彼と共にあったのです。

 創刊から19年目の1971年10月号には、カウボーイ姿の尾崎紀世彦と
アーリー・アメリカンのドレスを着た小柳ルミ子がいます。ここまで日本人の
ありようと無関係な恰好をした表紙は、これ以前にはありません。言ってみれば、
コスプレの元祖のようなものです。

 なぜそういう表紙がなかったのかと言えば、日本のスターにそれをさせても
似合わないし、それを見せられても、日本の読者にはどう対応していいのか
分からなかったからです。日本のスタート日本の読者を納得させるためには、
どこかで「日本的な土着化」が必要になる−日本の芸能雑誌に独特な泥臭さは、
そこから生まれました。

 だから、これ以前の『明星』の表紙を見ると、「そういう時代だったんだな」と
いう詠嘆をどこかで感じざるをえません。日本人はなにかの限界の中で、精一杯美しく、
あるいは現代的に飾ろうとしている−それが篠山紀信以前の表紙でした。

 しかし、篠山紀信が担当した表紙には、そうした「時代の限界」がありません。
尾崎紀世彦と小柳ルミ子、なんの違和感もなく「アメリカ人となっている日本人」なのです。

 カントリー・アンド・ウェスタンから出てきた尾崎紀世彦はともかく、当時の
小柳ルミ子は、「愛らしい日本の叙情を歌う歌手」でした。しかし、それは問題に
なりません。「アメリカ人になりたいなら、アメリカ人になってしまえばいい」という、
明快な割り切りがありました。それが不自然にならないところまで、日本人は進化していました。

 この次の11月号における堺正章と南沙織(現・篠山紀信夫人)もそうです。
日本のスターはファンタジーを演じられるようになって、日本の読者はこれを
すんなり受け入れられるようになっていたのです。』

 今、書店では平積みで売られています。ただマイナーな新書なので、
見つからないかもしれません。私は、3軒目で見つけたら平積みでした。
数冊買ってしまいました。

レコーディング その4 投稿者:京平先生の後輩  投稿日:2002年12月12日(木)22時44分26秒
さて、「その3」で示した結論の根拠はというと、ベストアルバム『南沙織ヒット全曲集』
(SQ4チャンネル)にあります。そのLPの断り書きに「17才」から「ともだち」は
音源の都合上SQ4チャンネルではない旨が明記されているのですが、この3曲はSQ盤に
できない理由があったと考えられます。それはマスターテープの元になる録音トラック数が
少なかったからだと思われるのです。つまり、4トラックテープレコーダーで録られたものを
4つのスピーカーから出した場合、音が分離しすぎて聞きにくく違和感のあるものになって
しまうのです。たぶん再録すると経費がかかるので製作サイドがあきらめたものと思います。
ところが、「純潔」から「色づく街」の5曲はベーシックトラック(カラオケ部分)が
8トラックあるので、シンシアのヴォーカルだけを4チャンネル向けに取り直せば
十分使えるとの判断が成されたのでしょう。だから、シンシアのヴォーカルが違うのです。
そして残りの3曲は16トラックで録られているので、リミックスすればOKという訳です。
事実、同じSQ4チャンネルのS&Gのアルバム『明日に架ける橋』はもともと
16チャンネルで録られていますし、音源は同じなのにミキシングが通常のものと違います
(これ比べると面白いです)。また、『アンソロジー』の中で有馬先生とシンシアが2ショットで
写っている写真を見ると、そこには16チャンネルのミキシングコンソールが一緒に
写っていますしね(だから、この写真は73年秋以降に撮られたものでしょう)。

こんな感じで当時も一番わからない部分である録音がなされたのではないかと私は想像しています。
長々となってしまいましたが、読んでいただきましてありがとうございました。
要は30年も前のサウンドなのに、シンプルに短時間で録音されたシンシアの楽曲群
(当時の他の歌手のものも同様に)はただ単に高価な機材で時間をかけさえすれば
良い作品ができるとは必ずしも言えない事を証明しているのではないでしょうか。

レコーディング その3 投稿者:京平先生の後輩  投稿日:2002年12月12日(木)21時56分50秒
「17才」以降はどうかということですが、2チャンネル録音はこれだけです。
結論を言えば、シングル盤を例にとると「潮風のメロディー」「ともだち」は4チャンネル録音、
「純潔」から「色づく街」が8チャンネル録音で「ひとかけらの純情」以降は16チャンネルで
録音されていると思います(24チャンネルは80年代以降)。その根拠を述べる前に
どのように録音されているかというと、
4チャンネル録音の場合、4トラックテープレコーダーの内、2トラックにストリングス以外の
ドラム・ベース等の楽器を録音し、残りの2トラックにストリングスをダビングします。
この理由はストリングスが弱音楽器なので他の楽器に負けてしまうからです。
こうしてできたカラオケを再生しながらシンシアの歌うヴォーカルを、リアルタイムで
カラオケと一緒に別の2トラックテープレコーダーにミックス録音します。シンシアが
間違えた場合は前回同様、手切りテープ編集を行い完成です。「潮風」と「17才」を
比べると、ベースの音がしっかりしていますし、ドラムのタム類がステレオで左右に振られ、
ストリングスは非常に奥行きが深くなりました。
続いて8チャンネル録音の場合、8トラックテープレコーダーの各トラックに全楽器別々に録音、
このカラオケを別の4トラックテープレコーダーの2トラック分にトラックダウンし、
残りの2トラックにシンシアの二通りのヴォーカルを録音します。これで「純潔」で聴ける
一人二重唱(いわゆるダブルトラック)が可能になりますし、『アンソロジー』に記載されている
方法でエコーをかけると、あの独特な歌声になるという寸法です。こうしてできた4トラック
テープをバランス・音質調整しながら別の2トラックテープレコーダーにトラックダウンして
完成と相成ります。
そして、16チャンネル録音になりますと、全員揃って録音する必要がなくなりました。
リズム隊だけでなくシンシアのヴォーカルも16トラックテープレコーダーの各トラックに
別々に録音した後で、同様に別の2トラックテープレコーダーにトラックダウンすればOKです。
このためやり直しが何回もきくため、一人が間違えても大丈夫、録音が非常に楽になりました。
ただ、録音した後の音作り(いわゆるミキシング)が大変になりましたが。
以上、ちょっと専門的なので分かり難いかと思いますが、興味があれば
『サウンドレコーディング技術概論』のような専門書を読んでいただけたらと思います。
当時のことが詳しく書かれています。

レコーディング その2 投稿者:京平先生の後輩  投稿日:2002年12月12日(木)21時00分54秒
「17才」の録音方法は次の通り。
最初にミュージシャン全員で、カラオケをステレオに振って2トラックテープレコーダーに
ダイレクト録音します。次にシンシアがこのカラオケをモニタースピーカーで聞きながら歌い、
それを別の2トラックテープレコーダーにダビングし同時にミックスも行い出来上がりです。
つまり、歌っている最中にエンジニアがカラオケとシンシアのヴォーカルのバランスをとりながら、
イコライザー等による音質調整を行うので、歌い終わった時点で完成品になっているということです。
今みたいに録り終えてから音をいじくるなんてことはありませんでした。もしシンシアが歌詞を
間違えたら、もう一度その部分を歌ってもらってテープの切り貼りをすればいいんです
(この技術において日本人は世界一でしょう)。

こうしてレコーディングされた「17才」ですが、ちょっとだけ気にかかることがあります。
それは4月10日に再レコーディングされたとありますが、この日は「17才」では無く
B面の「島の伝説」が録音されたのではないかということです。A面とB面を聴き比べてみると、
確かにカラオケは同じ日に録られた感じがするのですが、シンシアのヴォーカルが何か違う気が
します。再度のレコーディングなら、練習時間もあるし、天才シンガー南沙織ならもう少し
落ち着いた感じで「17才」が歌えるように思うのです。一方、B面は以降の沙織節になっています。
また、エコーの感じが「17才」は他の曲とは違うように思います。新人歌手が初めて
レコーディングする際、重要なポイントはその歌手の歌唱力を見極めた上でそのシンガーにあった
マイクを使用することなのですが、これは大変難しく、エンジニアの経験と勘がものをいいます。
時間が殆ど無かったシンシアの場合、このB面の録音時に、当然前回の経験を生かしてマイクや
エコーのかけ方等のセッティングを一番合うように変えたものと思います。それに通常の場合、
ファーストテイクの方がメロディや詩を忠実に歌っているので、再度録音し直す場合よりも
はるかに良い場合が多いのです。また、再レコーディング前にソニーの新入社員に「17才」を
聞かせているみたいだし・・・。真偽の方はわかりません。考えすぎかもしれないですね。
実際その通り、歌詞の訂正等の理由により再度録音し直したかも?

レコーディング その1 投稿者:京平先生の後輩  投稿日:2002年12月12日(木)20時07分37秒
関谷様、貴重な情報ありがとうございました。
ここで沙織ストの皆様が何万回と繰り返し聴いたであろう名曲「17才」のレコーディングが
実際どんな感じで行われてたか、残された音源・資料から考察してみたいと思います。

『アンソロジー』によりますと、3月12日カラオケ録り、13日シンシアのヴォーカル入れ、
4月10日再レコーディングで完成。シンシア・小栗氏(尾崎紀代彦がいたGSワンダースの
元メンバー、歌は上手です)の証言からテイチク会館スタジオにおける2チャンネル一発録音と
いうことですね。普通J−POPの楽器編成は5リズム(ドラム、ベース、ピアノ、ギター、
パーカッション)、ストリングス(第一バイオリン6人、第二バイオリン4人、ヴィオラ2人、
チェロ2人)、ブラスセクション(サックス5人、トランペット4人、トロンボーン4人)が
基本ですが、「17才」はドラム、ベース、ピアノ、6弦&12弦アコースティクギター
(水谷&矢島ペア)、ストリングス、フルート、タンバリン、コーラス(シンガーズ・スリー)で
演奏されているようで、曲調に合わせてシンプルになっています。確かにこの曲を注意深く聴くと
間違いなく2チャンネルで録音されています。当時の2トラックテープレコーダーではマイクが
12から16本しか使用できないので、マイクのセッティングに注意しなければなりません。
例えばドラムを例にとるとマイクの数が2本くらいしかセットされていないので、音がぼやけているし、
タム類が分離していません。また、当時の録音スタジオはアイソレーション・ブース(録音用の
小部屋)が無く、狭いスタジオの中で20から30人ものミュージシャンが一同に近接して
演奏していたため、各々のマイクに他の楽器の音が混ざって入っている(ヘッドホンを使用して
いないので、シンシアの使っているマイクからもスタジオ内のモニタースピーカーから流れる
カラオケの音を拾ってしまう)ので、独特のステレオ感になっているのが判ります(これを
高度に大掛かりにやったのがフィル・スペクターやナイアガラ・トライアングルです)。
ちなみにシンシアの使用していたマイクは『アンソロジー』の写真から判読すると、たぶん
西独ノイマン社製のM−49という真空管式コンデンサーマイクだと思います。真空管と聞いて
古めかしいなんて思わないでくださいね。真空管マイクはトランジスターマイクより音色・音質が
優れているんです。今でも世界中のレコーディング・エンジニアが血眼になってビンテージ真空管
マイクを探し回っているというのが現状です。その証拠に、シンシアのヴォーカルが後期になると
クリアーになった反面、初期のふっくらした感じが無くなり、奥に引っ込んだように聞こえませんか?
これはマイクやレコーディング機材が真空管からトランジスターに切り替わったからです。
ギターアンプだって現在も真空管アンプが主流なんですから。ただし、壊れやすいのでメインテナンスが
大変なのと製造されていないので、今では殆ど使用されていません。ですから、シンシアの初期の
哀愁のあるヴォーカルの再現は本人をもってしても不可能でしょう。

人魚は永遠に不滅です 投稿者:キンドー日陽  投稿日:2002年12月12日(木)03時38分17秒
こんばんピー、久々にカキコいたします。
ビリーママさん、元気でしたか?一年ぶりですね。パソコンのメールも無事始めたのですね。
今年のクリパは参加されないそうですが(遠すぎるよね、去年はありがとうございました)、
去年の事を思い出しながら鹿児島からご家族の方とメリクリ楽しんでください。

さて、そこでモノ申す! きんどーちゃんはシンシア一色だなんてカキコしてありましたが
ところがどっこい、わたしは浮気者、いまはBoAちゃんだのユンソナちゃんだの白石美穂ちゃんだの…
数かぞえればキリがありません。なんだか最近またまた若返ってきて、その内ミニモニな〜んて
言い始めるかもしれないピョン。許せよ労働者諸君!

ところで人魚の話、読ませていただきました。イラストを手書きで書いて夜も寝ないで
昼寝して会報「青春の絆」をつくっていた頃を思い出してしまいました。あの頃は、
当然パソコンなんて無くコピー機を駆使して拡大縮小を幾度と無く繰り返して版下を
早寝して早朝から作ったものでした。みんなが楽しみに待っていてくれると思うと
がんばらなくっちゃとスタッフ一同痩せるほど(僕ちゃんは変わらず)作業に没頭した
ものです。そこで、もう一度人魚をパソコンで復活できないものかと考えました。

そうだ、来る22日のクリパで参加者プレゼントするシンシアコレクション写真集に
ちょいとのっけてみよう!(ひとりごと)
シンシアの懐かしい写真がいっぱい。古くからのファンはただただ懐かしく、
あたらしいファンは目新しい発見をすることでしょう。
 サイズ/重量   A4/3,200トン(波動砲装備)
 ページ数     20頁/表紙別(付録・シンシアすごろく/シンシア羽根付きセット)
 プリント詳細   7色印刷/最高級フォト印刷用紙使用/最高ランクプリント出力
 体裁       クリアポケファイル綴じ
 POWER    青春バクハツ150%
2年前のシンシアカレンダー2001では、写真の抜き取りは困難でしたが、クリヤファイルでは
簡単容易で自由自在。あなたのお好きな写真をいくらでもチョイスし、ご自由にご使用ください。
ただし、悪用しないでください。良い子だったらどうゆうことかわかるよね。
とにかく、お楽しみに。

Re:人魚は月の女神です 投稿者:Bello  投稿日:2002年12月10日(火)17時38分55秒
「人魚姫」と言えば、ドボルザークのオペラ「ルサルカ」。
第一幕の有名なソプラノのアリア「月に寄せる歌〜白銀の月よ」は、僕のお気に入りです。
ルサルカ(人魚姫)は水の精だけと、月の女神と関係があるとの、トナカイ氏の書き込みを
みて、なるほどと思いました。 クリスマス・パーティ楽しみにしています。

人魚は月の女神です 投稿者:トナカイ  投稿日:2002年12月09日(月)23時29分10秒
 17会では、シンシアのシンボルマークを「人魚」としています。
テレホンカードの写真などを見ていただければ、人魚があしらわれているのがおわかりと思います。

 1979年頃だったかな、キンドーさんがシンシア人魚を作ってくれたのです。
どうして人魚かというと、深い意味は無く、沖縄の海と美女をイメージしたものでした。

 ところが、シンシアのイメージを人魚にしたのは、大正解だったのが、後からわかります。その話です。

(鴨川つばめ)
 皆さんは、鴨川つばめという漫画家をご存知と思います。「マカロニほうれん荘」の作者です。
私らは、この作品が大好きでした(少年チャンピオンに1977〜79年連載)。

 鴨川さんは、この連載終了後に休養状態に入り、1980年になって、突然、東京ひよこという名前で、
少年キングに「プロスパイ」という作品を、翌年まで連載します。40回位の連載だったでしょうか。

 この作品は、私立探偵のコンビが主人公です。一人が若くて、一人が中年で、シャーロックホームズと
ワトソン博士みたいな感じの関係でした(二人ともドジなのですが)。話は途中から、世界征服をたくらむ
悪の組織とそれに対抗する正義の組織の戦いになり、彼らは正義の組織の一員として戦う、みたいな展開に
なります。半分ギャグまんがなので、軽い口当たりですが。

 1981年になってからの話、もうすぐ連載終了当たりで、彼らは敵の秘密基地を攻撃すべく、
船に乗って適地に乗りこむ場面があります。

 当時、私は少年キングが愛読書で、毎週買っていました。少年キングは翌年82年に休刊(廃刊)に
なりました。部数低迷のせいです。

 ついでですが、17会のキンドーさんは、マカロニほうれん荘のキンドーさんに似ているので、
みんながこのニックネームで読んだのが始まりです。

(北欧神話)
 話を戻して、船の上では、人魚と月の話になりました。どうしてそういう話になったのかは
覚えていないのですが。話はこんなものでした。

 「北欧のバイキングは、大海原を航海している時、月の女神はどんな姿をしているか考えました。
彼らから見れば、月は海から出てきて、海に沈みます。一日の半分を海の中で過ごすので、
月の女神の身体の半分は魚だろうと考えました。こうして、人魚という姿を考え出したのです。」

 このマンガを読んでビックリしました。まさに、人魚のイメージは、月の女神、つまりシンシア
そのものなのです。キンドーさんに話したら、彼もこの話は知りませんでした。神の導きか、
人魚はシンシアの最適のイメージだったのです。

(スターバックス)
 コーヒーのスターバックスのシンボルマークは人魚です(http://www.starbucks.co.jp/ja/home.htm)。

 しかも、この人魚、北欧神話の人魚というのです。つまり、月の女神なのです。
コーヒーを飲むなら、スタパにしましょう。

ハガキ届きました。 投稿者:ビリーママ  投稿日:2002年12月07日(土)11時59分15秒
こんにちは。月曜日に私のもとにもXmas2002のハガキ届きました。
ありがとうございます。とてもれうしいです。

 昨年、お多幸についてドキドキしながら4Fまでの階段を登っていきました。
あれからもう1年、懐かしいなあ。ここのBBSはマニアが多いのでわからない
こともあるのですが、いろんな情報とても楽しく読ませていただいてます。

先日、朝のラジオ番組(MBC南日本放送ですが)の中で、毎朝「おはよう、
めざましクイズ」というのがあって、5問の質問にあらかじめ選ばれている
視聴者が答えるのですが、その中の1問に「写真家篠山紀信さんの奥さんで、
後に森高千里さんがカバーした17才を歌っていた人は」というのがありました。
私、感動しちゃいました。こういうの聞いたら、ますますまたお多幸に行きたく
なっちゃいます。キンドーさん、Cynthia一色なんていいな。
今年は、また新たな参加者がいそうですね。例えば、京平さんの後輩さんとか。

 それでは、遠く鹿児島の空から皆様の健康と17会の発展をお祈りしています。
では、またカキコします。

香坂みゆき 投稿者:紗妃  投稿日:2002年12月06日(金)22時30分01秒
私もボックス買いました。
やっぱり彼女はCynthiaのファンだったんですね。納得。
彼女のアルバムで「春の予感」収録のものがあったことも知りました。

仕事師列伝 投稿者:TANAK  投稿日:2002年12月04日(水)20時06分44秒
こんばんは。
12月4日の産経新聞
仕事師列伝 平成編(103)
ミスター歌謡曲(3)
作曲家・筒美京平 努力する天才“月45曲” (12/ 4)
が掲載されているようです。
私はichimyのサイトで知りました。
ichimyに登録すると「南沙織」のキーワードで出てきます。

17会忘年会のお知らせ 投稿者:トナカイ  投稿日:2002年12月04日(水)00時22分59秒
 師走に入り、いよいよ忘年会の季節、17会(トナカイ)恒例の
おでんパーティも近づいてきました。今まで参加していただいた方には、
案内のハガキが届いていると思います。

 届いていない方や、今年参加したい方は、私までメールをいただけますか。
折り返しハガキを送らせていただきます。

 今年もビデオ上映会や豪華なプレゼントを用意しました。
今日、キンドーさんと会って、今年のプレゼントを見ましたが、
気持ちに羽が生えるほど素晴らしい物です。
当日をどうぞ楽しみにしていて下さい。

 日にち:12月22日(日)午後6時より9時頃まで
 ところ:お多幸新宿店(http://www.otako.co.jp/sinjuku-ten.html

「17才」のミュージシャン 投稿者:関屋  投稿日:2002年12月03日(火)01時04分23秒
>京平先生の後輩さま
いつも貴重かつ愛情溢れる書き込みをありがとうございます。
『筒美京平ヒットストーリー』(榊ひろと・著 白夜書房)によると、
「17才」の録音スタジオはテイチク会館。オケ録りに1週間を要した後、
レコーディングは一日で終了したそうです。ギターは水谷公生氏と矢島賢氏。
コーラスはシンガーズ・スリーが担当しました。
他の曲についても調べてみますので、確認ができ次第、随時紹介させていただきます。

忘年会が楽しみです 投稿者:関屋  投稿日:2002年12月03日(火)00時42分28秒
17会の皆様、忘年会の御案内の葉書をありがとうございました。
今から楽しみでなりません。数日の差で、『輝く日本レコード大賞』(71年)の
ビデオ上映が出来ないのは残念ですが(^^)。

先日、香坂みゆき嬢のCDボックスを購入しました。みゆきサンはデビュー当時(77年)、
南沙織さんの大ファンで、歌唱方法にも相当影響を受けているそうです(本人談)。
ロングインタビューを読んで感じたのですが、全く妥協をしない姿勢も
シンシア譲り…と言えますね(^^;)。

クリスマスおでんパーティー 投稿者:Takashi  投稿日:2002年12月02日(月)22時30分20秒
本日キンドーさんから恒例のおでんパーティーの
案内が届きました。
相変わらず素敵なデザインです。
ありがとうございました。

ミュージシャン その3 投稿者:京平先生の後輩  投稿日:2002年12月01日(日)18時02分53秒
(16)シンガーズ・スリー
スキャットを歌わせたら天下一品の伊集加代子が結成したコーラスグループで、
声質の異なる三人組がハモるところに特徴があります。伊集女史は日本ジャズ
女性ボーカリストのパイオニア水島早苗女史(佐良直美の先生で、TV『悪魔くん』
のオープニングを歌っていた方)に師事した後、スタジオワークに入りました。
伊集女史は知る人ぞ知る、アニメ・CMソングを数え切れないほど歌っています。
たとえば、アニメ『アタックNo.1』のサブ・テーマ「バン・ボ・ボン」
「アルプスの少女ハイジ」等。これでわからなければ、『11PM』『プレイガール』
のテーマを歌っていた女性歌手といえば、当時の男性なら誰でも知っているはずですよね。
CMソング歌手といえば、今ではミネハハさんが有名なんですが、
伊集女史はその先駆けです。

(17)リバティ・ベルス
東大生を中心とした男3人女2人のコーラスグループ。
「幸せになりたい」というシングルを出しています。
どんな曲なんでしょうか?

(18)吉川忠英
70年頃より活躍しているアコーステック・ギター界の重鎮。
「ザ・ニューフロンティアーズ」に在籍後、数多くのライブ・セッションを
こなしています。有名なところでは、あみんの「待つわ」はこの方。
NHKのTVでよく見かけますね。
シンシアのレコーディングは復帰後から参加しています。

(19)笛吹利明
70年代後半からプロとして活躍しているスタジオ・ミュージシャンです。
専門はアコースティク・ギターで、多くのセッションをこなしていますが、
特に長渕剛とはレコーディング・ライブにおいてなくてはならない存在です。
シンシアとは復帰後からですね。

とまあ、こんなところでしょうか。他にご存知の方、ぜひ教えてください!
当時のスタジオミュージシャンがどんな感じでスタジオ録音していたかというと、
楽器のセッティングをして、譜面渡されて、ちょっと自己練習。
1回リハーサルやって、即本番でおしまい。この間約1時間。
そして1日に大体10曲くらいを録音していたそうですから、
すごいハード(今は3時間くらいで2曲)。忙しすぎて、皆さん何を
レコーディングしたかなんてあまり覚えていないと思います。
また、録り直しなんてほとんどありませんから、ちょっとしたミスが
そのまま残っています。例えば「女の子の気持ち」の最後のリフレインのところ、
ベースが間違っていますね(江藤さん?)。
あとユーミンの曲ですが、「あの日に帰りたい」でキャラメル・ママの
ドラマー林立夫氏は後半のリフレインのところで、間違えそうになって上手く
誤魔化しています。機会があったら確認してみてください。
なにはともあれ、アンソロジーに記載してある通り、シンシア(他の当時の
歌手も)のバックを支えていたのは凄腕の一流ミュージシャン達でした。

ミュージシャン その2 投稿者:京平先生の後輩  投稿日:2002年12月01日(日)16時42分47秒
(8)武部秀明
元「アダムス」のベーシスト。アグネス・チャンやガロのセッションに参加しています。

(9)田中清司
穂口雄右氏と一緒に「ジャニーズ」のバックバンドであった「ジャニーズ・ジュニア」に
在籍していたドラマーで、後に「井上尭之バンド」にいました。
「憎みきれないろくでなし」はこの方が叩いています。
よく武部氏とペアで仕事をしていました。

(10)矢島賢
凄腕のギタリストで、山口百恵「プレイバックPart2」
木ノ内みどり「横浜イレブン」はこの方が弾いています。
シンシアの楽曲では何に参加しているのでしょうか?

(11)直居隆雄
日野皓正や渡辺貞夫ともやったことのある有名なジャズギタリストで、
72年以降数々のスタジオセッションをこなしています。アンソロジーには
載っていませんが、シンシアのレコーディングに参加したことがあるそうです。

(12)高水健司
元「赤い鳥」の大村憲司と村上・ポンタ・秀一と一緒に、五輪真弓の
バックバンド「エントランス」を結成していたベーシストです。
他にも劇伴やユーミン・井上陽水のセッションにも参加していました。

(13)松木恒秀
もともとはロック系でしたが、今はジャズバンド「What is HIP?」で
活躍中のギタリストです。「ザ・プレイヤーズ」「稲垣次郎とソウル・メディア」に
在籍していました。竹内まりや・SMAP等のレコーディングにも参加しており、
和田アキラや山下達郎は松木氏を‘ギターの師‘と仰いでいます。
達郎が言っていましたが、70年代のスタジオ・ミュージシャンは今と違い、
皆アレンジャーのセンスを持ち合わせていて、譜面通りに弾く方は
殆どいなかったそうです。恐るべき才能の持ち主の集まりだったんですねえ。

(14)浅井博
スタジオ系のキーボーディスト。中島みゆき・南こうせつ・キャンディーズ等の
アレンジなんかも手がけています。

(15)ラリー須永
「石川昌とカウントバッファローズ」のパーカッションです。

ミュージシャン その1 投稿者:京平先生の後輩  投稿日:2002年12月01日(日)15時06分19秒
シンシアの曲を聴いているといつも思っていたのが、
誰がバックの演奏をやっているのだろうということでした。
唯一、アルバム『人恋しくて』の裏ジャッケットにクレジットが
入っているだけで、後は謎だらけ。ところが、『アンソロジー』の
おかげでサウンド・ナウ・オーケストラの全貌が明らかになりました。
スタジオ・ミュージシャンなのであまり知らない方も多いと思いますので、
ここにお知らせしますね。

(1)江藤勲
日本音楽史上のエレクトリック・ベースの父ともいえる方で、
黛ジュンの最初の旦那様です。インスト時代(63−65年)の
ブルー・コメッツに在籍後、スタジオ・ミュージシャンになりました。
江藤氏出現により、それまで主流だったウッド・ベーシストがいなくなって
しまうほどの影響を及ぼしました。鳴瀬喜博・細野晴臣等の一流スタジオ・
ミュージシャンの与えたインパクトははかり知れないものがあります。
シンシア以外にも「メリー・ジェーン」「人形の家」なんかもこの方が
弾いています。『ベース・マガジン』96年1月号にインタビュー記事が
掲載されています(但しシンシアについてのコメントはありません)。

(2)石川晶
ジョージ川口と並ぶ日本ジャズドラマーの元祖。ジャズバンド「カウント・
バッファローズ」のリーダーです。パーカッションとしても有名で、晩年は
アフリカのストリート・チルドレンに音楽を教えるというボランティア活動を
メインに据えていましたが、残念ながら今年2月にお亡くなりになりました。
石川氏の人脈が日本ポップスの屋台骨を支えたといっても過言ではないでしょう。

(3)杉本喜代志
今年還暦のジャズギタリストで、トランぺッター日野皓正のクインテットに
参加して名を馳せました。昨年「サーキュレーション」というジャズアルバムを
発表し、今でも現役バリバリで頑張っています。たぶん「純潔」のファズギターは
この方ではないでしょうか? 弾き方がジャズっぽいですから。
ちなみに当時ギターはギブソンESー175、SG、レスポールを
使用していたそうです。『ギターマガジン』01年8月号に
インタビュー記事があります。

(4)飯吉馨
この方も有名なジャズピアニストで、後年は音楽教育に力を入れ、
若手の育成に努めました。残念ながら、99年にお亡くなりになりましたが、
お弟子さんが飯吉氏の思い出を『この一瞬の響きに』という本にして出版されています。

(5)寺川正興
ジャズ畑出身のベーシストで、ジョージ大塚トリオに在籍していました。
石川&寺川ペアは歌謡曲ばかりでなく、劇伴、つまりテレビや映画の
伴奏音楽を数多く手がけています。有名なところでは「海のトリトン」
「ガッチャマン」が挙げられます。


(6)羽田健太郎
この方はTV番組でお馴染みなので何も言うことはないでしょう。
クラシック出身のピアニストです。

(7)水谷公生
沙織ストなら皆さんご存知、もともとGSアウト・キャスト及び
アダムスに在籍したギタリストです。このアウト・キャストには
キーボードとして穂口雄右氏(「20才まえ」のアレンジャー)が
いました。キャンディーズの「春一番」のリードギターは
水谷氏なんですが、おそらく「傷つく世代」は弾き方・音色が
似ているのでこの方が弾いているんだと思います。
「純潔」のギターとは違い、明らかにロックしていますから、
このころからギターが水谷氏になったんではないでしょうか?



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