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Cynthia Street 2006年04月の伝言板

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来週日曜朝7時から日テレでアグネス 投稿者:トナカイ  投稿日:04月30日(日)08時29分58秒
 『所さんの目がテン!』という番組があります。
日本テレビで毎週日曜日午前7時から7時半まで30分番組です。

 毎週一つのものを取り上げ、そのものの意外性を色々考える
番組です。今週はグリーンピースを取り上げました。グリーン
ピースってタンパク質が少なくて、でんぷんが多いので納豆は
うまみが少なくてだめ。でんぷんが多いと水分が絞り出せなくて
豆腐にもならないそうです。

 来週取り上げる物は「ポピー(けし)」で、ゲストは
アグネス・チャンです。番組ではゲストが来る理由は言いません
でした。勿論デビュー曲「ひなげしの花」がらみでしょうが。
お暇ならどうぞご覧下さい。

 http://www.ntv.co.jp/megaten/index.html

シルバー仮面 投稿者:京平先生の後輩  投稿日:04月30日(日)01時38分35秒
GWの5月6日(土)と7日(日)にケーブルTV及びスカイ
パーフェクTVでシルバー仮面が放送されます。シンシア
出演の第6話は7日午前9時からの放映に含まれています。
ご覧になれる方はぜひチェックして見て下さい。

kouji様、素晴らしい情報ありがとうございました。私も初めて
見る映像で繰り返して何度も何度も見てしまいました。
感謝、感激、あめ、あられ!

(無題) 投稿者:kouji  投稿日:04月29日(土)22時45分23秒
ユウサン、はい↓の「こうじ」は私です(笑)
HNをひらがな変換してしまいました。

ちょっとしたサイト内で知り合った方が以前、森高さんの
「17才」の紹介を紹介されていたので、「17才」はCynthiaで
なきゃやだ!!と、駄々をこね(笑)探して頂きました。

私もビックリしたんですよ!!
公式の方は最近、削除されてしまうこともあるので!?
こちらにURLを張らせて頂きました。

皆様に喜んで頂けた事、管理人様に削除されなかった事、
Cynthiaバージョンを探してくれた頼もしい知人に感謝して
おります。

(無題) 投稿者:ユウサン  投稿日:04月29日(土)22時37分48秒
 こうじさん、私が知っているこうじさんでしょうか、
今見てきました、あるところにはあるものですね!、感激です。

 そらまめさん、ベータのデッキ壊れていても手元にある
のならソニーのサービスへ持っていけば修理してくれます、
たまにですが中古店の店頭に完動品が出ていることがあります、
私は何度か見たことがあります。

感激! 投稿者:T.S  投稿日:04月29日(土)21時24分23秒
こうじさん、ありがとうございます。感激です。
エンジェルゲートでのシンシア・紀信さん夫妻の映像ですが、
画質は落ちますが、エンジェルゲートのオフィシャルページ
ではまだ公開されています。
輝信さんのインタビュー画像もあります。ご存じの方が
多いかと思いますが、お知らせします。
http://www.fujitv.co.jp/events/angelgate/movie/index.html

嬉しいです 投稿者:もりころ  投稿日:04月29日(土)16時10分52秒
こうじさん紹介の「17才」の映像、初めて見ました。
レコ大、歌謡大賞、紅白以外の映像が残っていたなんて驚きです。
シンシアの顔、ヘア、歌い方、声、衣裳の感じからして72年後半
くらいのものではと推測しましたが、どうなんでしょう。
本当に貴重なものを見せていただき有り難う御座います。

(無題) 投稿者:373  投稿日:04月29日(土)15時25分32秒
こうじさん紹介の映像、懐かしいのひとことですね。
そらまめさんの解説がなければ、どうして「あごいさむ」が
でているのかと思うところでした。先週のТ・Sさんからの
エンジェル・ゲートの映像とのあいだには三十年以上の時が
流れているはずですが、それを感じません。シンシアは
もしかしたら世界でも最も良い年の重ね方をしている一人かも
しれませんね。
 ところで、シンシアの声質論がありましたが、専門的な
解析は日本音響研究所の鈴木松美先生におまかせすることにして、
私個人としてはレオン・ラッセルのソング・フォー・ユー
(オン・ステージのメドレーの中でちょこっとだけ歌って
いますが、私の夢はフル・コーラスで聴いてみたい)などで
低音から高音に変るところに参ってしまいます。アイドル
イコール歌は下手という常識はシンシアには当てはめて
欲しくないですね。

ありがとうございました。 投稿者:ユタカ  投稿日:04月29日(土)14時43分1秒
こうじさん、はじめまして。
僕も17才の映像を観ました。
レコード大賞以外の映像をなかなか観る機会がありません
でしたのでとっても嬉しかったです。
このシンシアの映像はどうやって録画されたんだろう?
昭和46年当時だと家庭用ビデオは殆ど普及していなかったと
思うのですが。皆さんいろんな秘蔵映像をお持ちなんですね。
Cynthia Premium付属DVDにも期待したいところです。

懐かしい映像 投稿者:そらまめ  投稿日:04月29日(土)13時53分19秒
こうじさん 初めまして!
懐かしい映像ありがとうございます。
もし私の記憶が正しければ、シンシアが高校生の頃、
学校に向かうのに利用していた
駅の駅員さんだったと思いました。

私も以前シンシアが出ていたテレビ番組、ビデオテープに
撮って実家にあるのですが、VHSじゃなくベーターの為、
機材もなくお蔵入りになったままです。
もう一度見てみたいなぁーと思っています。

17才 投稿者:こうじ  投稿日:04月29日(土)03時46分54秒
たまたま某サイトで紹介して頂きました。
ご存知の方も居るかも知れませんけど!?

http://www.youtube.com/

 ↑私がCynthiaファンと知って探してくれました。

シンシアとひばり 投稿者:betti  投稿日:04月28日(金)17時20分23秒
耳がいいのかなぁ?そして顎の発達。
普通の日本人は、母音は「あいうえお」の5つしかありません。
でも、英語は10以上ありますよね。それを聞き分け、使い分ける
それが二人の共通点かもしれませんね。

となるとひばりの方が上になってしまうので悔しい。

でもシンシアのほうが「突く」発声ができるので、
素晴らしい!!

唯一無比の声質 投稿者:Shigeru  投稿日:04月28日(金)00時54分56秒
私もどちらかというと歌謡曲というか日本独特のフォーク
ソングは得意ではなかったんですが、去年の田山雅充さんの
コンサート以降あまり抵抗を感じなくなりました。

大岡昇平さんはCynthiaが歌うと「人恋しくて」もぜんぜん
湿っぽくないとおしゃってますね。
http://www.cynthiastreet.com/book/book.html

Cynthiaの声質自体は適度に湿度があるのですが、歌い方は
独特の「突く」歌い方なので、従来の歌謡曲のようなベトベト
感がないんでしょうね。このあたりの微妙なバランス感覚が
日本人の耳には心地よく響くのかも?
それにしてもCynthiaのあの声は何者にも代え難いものがあります。

Jポップって? 投稿者:betti  投稿日:04月27日(木)22時14分9秒
アメリカのポップスの日本版でしょ?!
それで突く歌い方…。
酒井さんは「人恋しくて」もシンシアが歌うからJポップになった、
と、普通に歌えば歌謡曲とおっしゃっていましたよね。
どう違うんだろう?

確かに三田寛子の「色づく街」は、はっきりと違いが分かりました
が(笑)。誰かカバーしてくれないかな?。

「人恋しくて」は自分的には歌謡曲的であまり好きではないの
ですが…。

トナカイさん、ありがとうございました 投稿者:Takashi  投稿日:04月27日(木)19時02分27秒
音楽講座の様子がリアルに伝わりました。
トナカイさん、本当にありがとうございます。
すごい手間と時間がかかったことでしょうね。
感謝いたします。m(__)m

美空ひばりさんとシンシアの声 投稿者:トナカイ  投稿日:04月27日(木)17時42分56秒
 今回の音楽講座を聞いて、私の長年の不思議の一つが
解けました。

 シンシアの声の不思議です。シンシアの声はデビュー当時と
ほとんど変わっていません。

 酒井さんは、「傷つく世代」を聞いた後のシンシアとの対談で
こう言っています(Jポップの歩み第7回対談報告9)。

 シンシア:“こんなに大人っぽい声で歌っていたんだ。”

 酒井講師:『あなたの声は十代から熟していたんです。』

 これはシンシアの声が最初から完成していたという事です。

 酒井さんのこの言葉を聞いた時、やっと分かりました。

 日本を代表する歌手、(故)美空ひばりさん、1989年に
お亡くなりになっています。さっき公式サイトをみたら、
享年52歳でした。

 今から20年前の1986年と思いました。この年は、美空ひばり
さんの芸能生活40周年の年で、多くの特集番組が放送されました。

 たまたま、そういう番組を見ました。彼女の10歳位の頃の
映像が出て、歌声が聞こえました。私はビックリしました。

 10歳のひばりさんの声は、その時のひばりさん(49歳)の声と
全く同じでした。私の両親も見ていましたが、ひばりさんの
声は昔と変わらないと言っていました。

 この時に世の中には、声の変わらない人が居るんだな、
天才歌手というのはそういうものかと思いました。

 ご存じの通り、人は加齢と共に声が太くなるものです。

 今回、酒井さんの「あなたの声は十代から熟していた」を
聞いて、シンシアもひばりさんと同じように、声が最初から
完成されていたと知りました。

 私達の女神は、何て素晴らしい声を持っているのでしょうか。

 美空ひばり公式WEBサイト:http://www.misorahibari.com/

A:素朴な疑問2 投稿者:トナカイ  投稿日:04月27日(木)16時58分45秒
 この掲示板でも何度か名前の話題が出ていますが、
シンシアは明美という名前はあまりお好きでないようです。
ですので、普段は篠山シンシアを使っているようです。
通称名か芸名と考えればいいと思います。

素朴な疑問2 投稿者:betti  投稿日:04月27日(木)14時20分47秒
酒井さんは紹介のときに本名内間明美さん、今は篠山
シンシアさんと言われていますが、本当なのでしょうか?
ひらがななのかな、カタカナなのかな? と馬鹿げたことを
考えています

CSファミリー劇場で5月7日シルバー仮面 投稿者:トナカイ  投稿日:04月27日(木)07時46分30秒
 CS放送のチャンネル「ファミリー劇場」は、過去のTV番組を
専門に流しています。ゴールデンウィーク特集で『シルバー仮面』が
放送されます。

 5月6日(土)AM9:00〜 第1話〜第4話
 5月7日(日)AM9:00〜 第5話〜第10話

 残り16話は6月以降の放送のようです。シンシアが登場するのは、
第6話「さすらいびとの荒野」です。

 ファミリー劇場では、一日5〜6回予告編を流しているようです。
着物姿のシンシアが2秒ほど映っているようです。

ファミリー劇場:http://www.fami-geki.com/

27年目の魔法 投稿者:373  投稿日:04月26日(水)23時09分17秒
10日間かけて、98年4月からの書き込みを全部拝見
させていただきました。このような熱い、そしてクレバーな
サイトの存在にいたく感動しました。興味深いのはシンシアの
音源ではオリジナル・アルバムを重要視している方が多いことと、
「人恋しくて」の評価が低いことですね。私はリアルタイムでは
「傷つく世代」からのサオリストで引退までレコードを買い
コンサートにも行きました。いま思い出してもシンシアの魅力の
魔法にかかったような五年間でした。そして27年と数か月
魔法は解けていましたが、コガ・ミュージアムでの余りに
変らないシンシアに、また魔法をかけられたようです。初夏の
日比谷の野外音楽堂、暮れかかる夜空に響くシンシアの歌声。
ピンク・レディがサプライズ・ゲストで出演した郵便貯金ホールの
コンサート。赤坂にあるT&Cの事務所まで行って求めた最後の
コンサートのチケット。2800円で二枚で1万円を渡したら、
お釣りを5400円くれたっけ(時効)。そのもう一枚の
チケットは友人の分だったけど、当日友人は遅れて来て
渡せなかったが、友人はチケットなしでも会場に入れたこと
(人生、真剣に訴えれば信じてもらえる)……みんな昨日の
出来事のようです。15日のことを、その友人に話したところ、
彼は、今でも麻雀をするとき「南」単騎で待つことにこだわって
いるそうです(なんのこっちゃ)。
このサイトには、これからもシンシアにたいする熱い想いと
情報の提供を期待します。

手拍子のシンシア 投稿者:betti  投稿日:04月26日(水)21時36分21秒
「17才」のときシンシアも一緒に手拍子をしてくれた。
本当に嬉しかったです。

Jポップの歩み 報告 投稿者:Bello  投稿日:04月26日(水)18時31分17秒
トナカイさん、大作ありがとうございました。
あの日かかった順に、もう一度、トナカイさんの文を読みながら、
曲を聴いてみようと思います。

Jポップの歩み第7回対談報告17 投稿者:トナカイ  投稿日:04月26日(水)15時53分28秒
【17.「17才−さよならコンサート実況録音盤」 有馬三恵子作詞 筒美京平作曲 南沙織 1978年】
『メロウな雰囲気で「春の予感」でした。いよいよ時間も終わりになってきて、是非皆さんに(一言)。』

“遠い所を、はるばる北海道から宮崎から、いらしていただき、ありがとうございます。

 27年ぶりですけど、まあこういう事は、もうきっと無いと思いますが・・・、

 がんばって生きていきます。元気なおばあちゃんになっていきます。

 みんなもいつまでも元気でいて下さい。(拍手)”

『さよならシンシア』というライブ盤より、もう一度ライブ盤の「17才」を聞いていただいて、
今日はお開きとします。

 (シンシアを見ながら)もう一度17歳に戻るんですよ。

 ホントにありがとうございました。ではお願いします。」

(「17才」がかかり、会場もこの時は手拍子が鳴り響きました。演奏終了後、ファンからシンシアと
酒井さんに花束が贈られ、今日の講座は終わりました。)

 シンシア、酒井さん、スタッフの方に感謝します。

Jポップの歩み第7回対談報告16 投稿者:トナカイ  投稿日:04月26日(水)14時55分7秒
【16.「春の予感-I've been mellow」 尾崎亜美作詞 尾崎亜美作曲 南沙織 1976年】
『この曲もいいですね。これも思い出深いんじゃないですか。ジャニス・イアンに会ったことは?』』

“えぇ、レッスンの時です。とてもさっぱしした人でした。”

『この「哀しい妖精」の中には、あなたの原点がすごく入っていますね。』

“そうですね。一番私らしいのかな、曲として。そう思います。

 この間もちょっとおうちで、「シンシア・メモリーズ(Cynthia Memories)」を聞いていて、
私は、ほとんど自分のCD持っていなくって。その中の「哀しい妖精」を聞いていた時に、
子供が(付属のミニアルバムを見たのか)「これだあれ?」って、「お母さんよ」(笑)、
「(驚いたか)ざまあみろ」みたいで。夜中じゅう聞いていました。”

『とにかく(曲が)飽きないというか。』

“そうですね、とにかく古さを感じない。”

『いい歌は古くならない。』

“そうですね。”

『古くなるのは歌詞やテーマがね、片寄っているからで。(この曲は)普遍的な言葉ででずーと
歌い継がれているから。』

“後半の私の全てを表している曲じゃないかな、と思うんですね。”

『もう一つ、クリーンヒットになった「春の予感」。これを聞いてみましょうか。これは化粧品のCMの。』

“はい、資生堂です。”

『では「春の予感」』

Jポップの歩み第7回対談報告15 投稿者:トナカイ  投稿日:04月26日(水)13時12分17秒
【15.「哀しい妖精」 松本隆作詞  Janis Ian作曲 南沙織 1976年】
『作詞は話題のユーミンです。その出会いの作品です。この時に確かユーミンが電話でね、不思議な事を
言ったんです。

 「南沙織さんが歌うと、歌が広がるんですね」

 そういう言い方ってあるんだなと思いました。元々、詩が出来た、曲が出来たで、大体その60点、
70点、点数でなくて6割から7割のものがあるのですね。

 それを9割にする人と5割に下げる人、歌を縮める人、広げる人がいるんですが。ヒット性のある人は、
広げていくんですね。作家が思ったものを、6合目から8合目に持っていくという。そういう意味で、
広げる人は、すごく印象に残っていますね。

 ユーミンに会った事は会ったかな。スタジオで?』

“ご飯を一緒で”

『どんなお話をしたんですか?』

“その時、(井上)陽水さんも一緒でした。主人と一緒に四人で。”
『それでは最近でしょう?』

“ううん、もう私は引退していて。”

『ああ、なるほど』

“きつかったです。現役のアーティストや何かを作っている人とは。主婦になってしまっている私とは。
ちょっと、「あー、この席に居たくなかったかな」って思いましたね。”
『ユーミンも結婚していたし、クリエーターとしていたんでしょう。』

“クリエーター(この場合はシンシア以外の3人)の中に主婦として入ると、うーん、
何て言うんですかね・・・。”

『クリエーターってとんがっていますからね。』

“そうですね、何かこう、結婚をして、子供を産んで、どーんと座っている、ただの主婦って事が、
あの時ほど痛かった事は無いですね。

 みんなはバリバリに作品作っている、じゃないですか。主人もそうだし。「これでいいのかなぁ」
って思って。”

『あなたは欲張りですよ。ユーミンだって子供という作品を作りたかったんですよ。』

“あぁ”

『ねえ、もう作れないものね。』(笑)

“私、(次の言葉聞いて)もうしゃべれなくなっちゃて。「子供作っちゃうと、それが最高の作品に
なっちゃうのよね」と。そこでは私、もう何も言えなくなっちゃって。そうかなぁって。

 「女性は子供産んでしまうと、それが最高の作品になってしまう」みたいな事言われて。ちょっと
何かすごく(ショックでした)。”

『とんがってたんだな。』

“でも鋭いです、すごく。ある意味では、女性ってそういう母性本能を持っていると思うのよね。
だから本当に本能的なもので、正しい事を彼女に突つかれていたんで。

 それで変な話、歌を歌うって事は、どれだけ歌ったとかどれだけ売れたとか、そういう事じゃなくて。
何かを作って残すという作業は、やっぱり素晴らしい訳じゃない。

 やはり、もうやめていたので、引退して私は普通の主婦と納得して生きていたので、そういう風に
言われた時に、「私は歌っていた時に、どれほど一生懸命だったんだろう」と。がむしゃらで
一生懸命だったんだけど、でも、何をどの作品を、本当に残せたのか、というか、
ちょっと考えさせられたんです。

 でも、ちょっときつかったです。その時は。”

『そうだけど、ユーミンとしても、(子供という)作品を作れなかったという気持ちはあるんですよ。

“そうですねぇ”

『人間って不思議なものなんですよ。自分が一番気にしている事を、相手にもかけると思うんですよ。
これはよく日常会話の中でも、注意して欲しい。

 と言うのは、例えばどう言うのかな、年を取ると言うことを、すごくまあ考え込んでいるとうか、
自分が老け込んだと考え込んでいる人は、結構多いですね。

 どんどん年を重ねていく事は良い事ですが、年を取ることが老けた事が辛いと思っている人に限って、
(話す)相手に「あなた老けましたね」って言ったりするんですよ。

“えぇ!”(ビックリして)

『そういうものなんです。でも待ってる答えがあるんですね。「あなたはお若い(な意味の)」と
言われたいために、そういう会話をするんです。

 ユーミンの言葉は、そういう意味ではないのですが、彼女の辛さが感じられます。』

“勿論、でも一貫して・・・、それって20年以上前の話ですから、私が長男産んで、彼女も若かったし、
まあいろんな考えがあるし。

 まあ、私はこういう風で、彼女があんな風に生きている、と今は思うんです。”

『あなたと今日ね、こうしてお話ししてきて、南沙織さん、今は篠山シンシアさんですけど、
「出会い運」が強いんだな、と。

 運が強いんです。人間って出会い頭が勝負なんです。その出会い運が強いんだと思う。

 デビューして、そして今日もいらっしゃるけど(客席見ながら)、こうしてファンにも恵まれて、
おまけにねぇ、すごいパートナーを得たんだから。お子さんもいて、贅沢ですね。』

“いえ、酒井さんに出会ったのが。”

『ちょっと贅沢病にかかっていますよ。』

“そんな事ないですよ。”

『話していると時間がどんどん無くなっていきますが。「哀しい妖精」を聞いてみましょうか。
「哀しい妖精」をお願いします。』

-2006.4.27(THU)	訂正-
 「南沙織さんの歌って、??なんですね。』(?の部分がどうしても分かりません)

 最初上記のように書きましたら、何人かの方がメールをくれました。一番合っているだろう
表現に変えました。「南沙織さんが歌うと、歌が広がるんですね」

Jポップの歩み第7回対談報告14 投稿者:トナカイ  投稿日:04月26日(水)11時38分48秒
【14.「青春に恥じないように」 荒井由実作詞 川口真作曲 南沙織 1976年】
『「ふりむけば電話して」でした(酒井さん、B面の「ふりむいた朝」と混同している)。

『こういう作品、聞いていただいておわかりだと思うのですが、私が彼女の性格をずっと見つづけて、
一番のテーマは、歌の題材、その根底には・・・(ちょっと考えている)。

 この南沙織って女性は、女性というか当時は女の子な感じがしたんですが、珍しく「母性愛」が
強いんですね。母性本能と言うか。

 今の結婚の話なんて聞けば、「やっぱり、そうだったんだ」と。母性愛が強いんですね。

 母性愛を持っているというのか。人を今癒すという言葉がありますが、そうでなく、人を包むと
言うか。だからテーマはいつも、失恋していても相手を包むとか、寂しくなっても相手を包んでいく。
そこにテーマを持っていってたんですね。

 その母性愛というのが、一番の彼女のテーマだったんです。』

『母性愛に対する今の時代と言うのは、そうですね、彼女の跡を継いでいた松田聖子さんとか、
中森明菜さん、このへんを見ていると、母性愛がまるで無い。

 どっちかと言うと(観客が笑っているので)いや、これは時代の流れでもあるんですね。
では何があるかと言うと「自己愛」があるんですね。

 まず自分がある、子供はさて置いても自分、仕事よりも自分なんですね。』

『今の話(シンシアの結婚話)を聞いて、ふっと思いました。自己主張が強くて、言いたい事は
しっかり言うんですが、根底は母性愛が強いんですね。

 いつもスタッフの間にも、すごく言いたい事を、ちゃんと自分で包んで押さえていましたね。

“そうですね、自己主張が激しい、割と持っている人って思われがちですけど。言わなきゃ
いけない事は言うけど、本質的には、どっちかというと、言わない人のような気がするんですね。”

『相手を思いやる心があるんですね。』

“相手の気持ちが、その、何て言うのかな、気になるんです。自分の気持ちよりも。どんどん
変わっていった。

 16・7の時は、自分中心だったと思うんですけど。回りが見えてくるとなると、自分よりも
相手かな、人の気持ちがとても気になるんです。

 どうしてこうなんだろう。どうしてスパッと行けないのかな、昔の自分はもっと何かスパッと
行けたのにな、それはよく思いましたね。

 でも、どうしても(自己愛的な考えは)無理ですね。”

『それだけ年を重ねているという事ですよ。

 あなた、ホントにお子さん産んでいるの?

 全然見えない。さっきから控え室でも』

“今日は頑張っています。今日は・・・大変だったんです。いつもなら黒っぽい服なのに、珍しく、
何十年ぶりにこういう白っぽいの着て、(鏡を見てか)「いやー、まいったな」って。”

『ほんとに話していても、変わりがなくて、すごいと思う。』

“酒井さんより恐い子供がいます。子供って見てますからね。今でも主人に何か注意される事より、
子供が、もうバサッと切ってくるので、グサッと(きます)。”

『次はまた作家との出会いで。ユーミンですね。その作品を聞いていただきます。
「青春に恥じないように」』

引退って 投稿者:betti  投稿日:04月26日(水)09時39分5秒
結局シンシアの中では、引退って7月の誕生会での引退宣言なんですね。
11ヶ月で結婚、で「あれっ?」と思いましたが、杜氏の週刊誌を読み返してみれば、
篠山氏と付き合いだしたのは、引退宣言して、時間的にも余裕ができたので、
山中湖の別荘に遊びに行って…。そんなことだった。

Jポップの歩み第7回対談報告13 投稿者:トナカイ  投稿日:04月26日(水)08時12分15秒
【13.「気がむけば電話して」 中里綴作詞 田山雅充作曲 南沙織 1976年】
『落合恵子さんと出会った「ひとねむり」です。考えるとあなたは、作家が、南沙織と
組みたいという方が多かったですよね。』

『考えてみれば、(井上)陽水さん』

“はい”

『(吉田)拓郎さん』

“はい”

『(シングル曲の)「シンシア」を出したのは拓郎さんでしたよね。』

“拓郎さんです。”

『あなたがずっと(やめないで)続けていたとしたら、陽水さん、拓郎さんが出てくる時期ですよね
(有名になって売れてくる時期に意味らしい)。

 皆さんが作品を(シンシアに)書きたいとなったでしょうね。陽水さんや拓郎さんと交流はあったの?』

“えー、主人が仲いいです。”

『あなたの事聞いてるんです。あなたと親しかったの?』

“現役当時?”

『そうそう』

“拓郎さんとは、どちらかと言うと、喧嘩が多かったです。会うたんびに喧嘩していました。

 私に歌のアドバイスをくれて・・・。拓郎さんは、きっと今では覚えていないでしょうけど、
当時は、(歌い方が)「ここは良くないんじゃない」ていうような言い方していました。”

『ともかく、拓郎さんとか陽水さんは、ものすごくあなたを(アーティストとして)意識していたと
思うんです。我々(スタッフの)男の目からもわかりましたよ。』

“うーん”

『彼女は、やめてすぐですよね、結婚したのは。1年くらいですよね。』

“11ヶ月、結婚するまでに。やめて11ヶ月で結婚しました。”

『(結婚前に食事をして)「今度結婚するんです」「誰と?」って聞いたら。もちろん
極秘なんですけど、言わないんですね。

 ちょっとこう、髪の毛の形を(両手で髪を鳥の巣状にして)「こういう人です」(爆笑)

 私は井上陽水さんかと(爆笑)。

 陽水さんじゃなかった。私は勘が悪いんですね。見事に外れました。』

“それなりに引退したんですね。引退発表した後に、篠山さんから食事に誘われたんです。
それがきっかけですね。”

『それはよくわかる。それが篠山さんの大きさです。あなたが現役だった頃、やめてなければ、
(結婚の)申し込みは絶対しなかったと思う。

 (紀信さんも)アーティストなんです。自分も制作サイド側にいて、(仲間という)
信念があったと思う。

 やめたと言うので、1年経って、11ヶ月、申し込んだんだと思う。』

“結婚は、母にはすぐ言ったんです。かっこいい事ばっかり言って、引退発表したので、
その後に恋に落ちちゃって、「わぁ(どうしよう)」と思って。

 自分の言葉に責任があるから、「お互いに結婚(の話題)はタブーにしましょう」て
いう風に(母と)話してて、それで何となくおつきあいしていったんです。

 母に伝えたら、母は「自分の年考えたら、好きにすれば」と言ったんですが、母は(実は)
結婚に反対でした。「好きなようにすれば」と言いながらも。

 でも、母にとって引退して結婚して、というよりも。母は自分が普通の女性として
生きてきたので、自分の・・・、今自分が親になって分かるんですけど、自分が歩んできた
普通の女の生活を、この娘はしなくてもいいんじゃないか、っていう気持ちもあったようです。

 母は飲めないお酒を、その頃から飲むようになったんですね。結局、体を壊すんですけど。
言えなかったけれど、母にとっては、よほど引退も結婚も辛かったんじゃないかな。

 私は、サラってしてるんで、母はちょっと苦労してきた事もあって、娘には違う道を歩んで欲しいと。”

『篠山紀信さんというと、大アーティストですから。そういう意味で親心で、すごく苦労が
多いでは(と思ったのでは)。』

“まあ、それもあったでしょうね。”

『でも、(夫婦の仲は)うまく行ってますよね。』

“はい、がんばってます。”

『じゃあ、ここで次の曲を。「気がむけば電話して」お聞き下さい。』

A:ボーカリスト 投稿者:トナカイ  投稿日:04月26日(水)08時10分42秒
 今回の投稿は、私の記憶と直後に付けたメモを基に書いています。他に何人かの人とメールの
やりとりをして記憶の補完をしています。

 で、いくらでも実際の講演と違う所が出ます。それについては、後で訂正したいと思います。
今はとりあえず最後まで投稿を完成させるのを最優先とします。

 おかしい部分はどんどん投稿や私宛のメールでご指摘下さい。お待ちしています。

ボーカリスト 投稿者:T.S  投稿日:04月25日(火)22時23分0秒
トナカイ様、詳細な対談報告ありがとうございます。
当日のことを思い出し感慨に耽りながら読ましていただいています。
報告11の中、酒井さんの言葉で「ボーカリストではないけど・・・」
と、書かれていましたが、「あなたの場合ボーカリストではあるけど、
見た目が(かわいいので)ビジュアル的にアイドルに入る」
という趣旨で語っておられたように記憶しています。
その方が、おにゃんこ以前のアイドルは歌唱力もあった、
というその後の解説にもつながりますし、
酒井さんのシンシアの声質に対する評価からも自然だと思います。

Jポップの歩み第7回対談報告12 投稿者:トナカイ  投稿日:04月25日(火)20時20分57秒
【12.「ひとねむり」 落合恵子作詞  筒美京平作曲 南沙織 1975年】
『新しい作家との出会いがあって、一つの(ターニング)ポイントとなった「人恋しくて」。
どうですか、これも思い出深いんじゃないんですか。』

“初めて違う方の作曲だったので。”

『田山さんね。』

“最初、(筒美)京平先生と有馬先生から離れると聞いた時に、「あーっ」と思ったんですけど。
この曲を聞いた時に、「新しい出会いは大切なんだな」と実感しましたね。”

『この曲なんか、例えばあなたでなかったら、普通の歌謡曲になってしまうんですよね。あなたの
言葉の突きによって、何か違うものになっていますね。そういう融合があったと思うんですよ。

 だから(転機は)作家との出会いから始まるんですよね。』

“でも、(私は)与えられて歌っていた感じが多いんであったので、今回、改めて聞いて、
「えっ、この人に書いてもらっていたの。えっ、この人がアレンジしてたの」って。結構、
現役の時は全然意識していませんでしたね。

 曲が与えてくれるような、そういう直感的なものだけを、自分で見て把握して歌っていた。
誰の作品っていうのは、ほとんど気にしていませんでした。”

『それほどあなたとしても、いつかこの世界を去ろう去ろうと、ちょっと客観的だったかな。』

“曲が来た時に、その曲が与えてくれるインスピレーション、そういうのがものすごく私に
とって大切だったの。誰が書いたよりも。

 いい曲と思ったらすぐ(その曲の世界に)入れたし、「はぁ(だめ)」と思うと、千回歌っても
入れなかったり。そういうとこはわがままがはっきり出る人だったんだな、って最近思う。”

『今度ソニーからね、特別CD(=Cynthia Premium)が出るじゃないですか。その中にライナー
ノート書いたって、さっき話してましたが、ホント(シンシアは)文章もうまいんですよ。』

“22枚”

『すごく考えて、「はー」と感じるセンテンスがつながる、いい文章を書くと思う。』

“決めるとわーと書けちゃうんですけど、そうでないと全然、悩んで悩んで、もう3日も、
その事しか頭になかったです。どっちかというと没頭するタイプなので、中途半端が嫌いで、
・・・酒井さんのようには書けないです。”

『長く活動していて、もし引退していなかったら、今頃自分で詩を書いて歌っていたかもしれない。』

“引退してなかったら・・・。今回、こういう風な形で(ファンの前に)出るっていう事で、
芸能活動に出るって事で。ネットで「こういうのが流れてますよ」って、ネットサーフィンで、
(友達が情報を)送ってきて。

 私は、インターネットで(自分関係のサイトなどは)見たことないんです。見ないようにしています。

 そしたらお友達が送ってきたんで、(メールを)見たんです。そしたら「引退したと思ったら、
なんだ現役じゃん」って書いてあって。「えー、あたしって、現役なのかしら」

 古い曲が発売される事ってのは、やっぱり、現役になるのかなぁ。・・・引退しているつもり
なんですけれど。”

『でも、それだけ惜しまれるから、どんどん(CDを)出していくのはいい事ですよ。

 南沙織という歌は、南沙織という作品は商品。あなたとはかけ離れていて人格は別なんです。』

“そういう風に思っています。”

『それだけ歌い継がれてCDになったBOXになったなんて素晴らしい事ですよ。出したくても
出せない人がいっぱいいるんだから。

 新しい作品との出会い、今度は落合恵子さん。皆さん記憶にあるでしょうけど、文化放送で
ディスクジョッキーで、非常に高い人気のあった(愛称はレモンちゃん)。落合恵子さんに
書いてもらった「ひとねむり」聞いてみましょう。』

Jポップの歩み第7回対談報告11 投稿者:トナカイ  投稿日:04月25日(火)18時14分46秒
【11.「人恋しくて」 中里綴作詞 田山雅充作曲 南沙織 1975年】
『「色づく街」聞いていただきました。これは足を動かしたり、手で振りをしたりと、
昨日の事のように思い出しましたね。』

“動きが全くない歌手でした。”(笑)

『今よくボーカリストという分類がありますが、あなたの場合、ボーカリストでもあるけど、
見た目は、ビジュアル的には、アイドルというゾーンに入る訳ですね。でもそれが楽しかったんですね。』

“自分がアイドルってあんまり意識した事が無かったんですけど。今回(プレミアムボックス用に
原稿を)色々書いていて、やっぱり、私はアイドルだったって、再認識しました。昔、今は違うけど。”

『アイドルって、日本では美空ひばりさんがアイドルって言われました。』

“あ、そうなんですか。”

『向こうではプレスリーも呼ばれたし、アイドルって大きな規模だったんですね。ところが、
Jポップの歴史の中で、アイドルって簡単に作れるという制作者の怠慢でもあるんですが、
テレビ局もそう考えたんだと思う。

 「おにゃん子クラブ」と言いまして、かわいくて近所にいそうな、笑顔がかわいくて、歌は
下手でもいいと、すごく沢山出したんです。あれからアイドルというものが蔑視されるようになった。

 「何だアイドルってこの程度でいいのか」と価値を下げていったのです。

 あなたの頃は歌もしっかり歌っていたし、天地真里さんもややクラシック畑でしたが、音を
出していたと思うんですよね。しっかり歌っていました。

 私ばっかりしゃべっているんだけど、』

“(ちょっとふざけて)私もしゃべりたいんですけど”(爆笑)

“でも何をしゃべったらいいのか、わからなくて。”

『じゃ、ちょっと考える時間をあげます。「色づく街」は、大変言葉、作詞ですね、にこだわった歌です。

 何故「色」にこだわったかと言うと、「セブンティーン」という雑誌、今は無いかもしれないけど、
そこに相談コーナーがあって。

 今は写真がカラーで載るというのは当たり前の事なんだけど、その当時(73年)は転換期
だったんだよね。白黒写真もあればカラーもある。

 質問ですが、「どうして写真が白黒で撮れるんですか?」という中学生の質問がありました。

 今の若い人はカラーに、色ってものにものすごくこだわっているんだ。(次の)企画に色って
ものを入れようとなったんです。

 作詞の有馬さんが色と言うことで、「枯れ葉」これを「青い枯れ葉」と書いたんですね。

 そしたら音楽評論家が叩いたんですよ。「枯れ葉には色はない」と。そんなバカなことは
無いんですね。道を歩いていても、青いの落ちてますものね。

 有馬さんが色を見事に表現してくれました。その新しさとあなたの歌が合わさって、本当の
Jポップになったんですね。今聞けば当たり前のようなんですが。』

“いい曲ですよね。”

『これ、思い出深いんじゃないんですか。』

“はい、(91年の)紅白、久しぶりに歌ったんです。この曲。”

『この歌を押したんですね。』

“NHKは(提示した曲は)「17才」でしたよ。”

『あれは2曲と言ったんです。「17才」と。』

“あの時も見事にだまされたんです。”

“2曲って約束で「ハイ」と。確かNHKが発表する2時間くらい前に、酒井さんに「じゃ出ます」
って私は言ったんです。その時は2曲だったんです。お約束は。

 発表した後、1曲になって。「じゃあヤダ」って言えなくなっちゃって。”

『色々こういう風にまっすぐな人なんです。

 じゃあ、続いて聞いてみましょう。大きなポイントになりました「人恋しくて」。

 この辺から作家がちょっと、時代が変わっていくんです。有馬さんの作詞から(故)中里綴さん作詞、
筒美さんから田山さんの作曲に。

 「人恋しくて」、あなた、これで歌唱賞もらったんじゃないですか。』

“そうです、ハイ。”

『覚えてない?』

“はい。みんな笑いますけど。もういただきました。”

『この当時の歌唱賞ってすごい価値があったんです。レコード大賞の新人賞にはノミネートでしょう、
それから歌唱賞。大変順風なんですね。「人恋しくて」聞いていただきます。』

-2006.4.27(THU)訂正-
 前の方の『ボーカリストではないけど、』を『ボーカリストでもあるけど、』と訂正します。

 「ボーカリスト」という言葉がよくわからないのですが、酒井さんはアイドルと対比して
使っているようです。

削除 投稿者:T.S  投稿日:04月24日(月)06時48分22秒
↓終了してしまいました。管理人様、削除お願いします。

芸能ニュース画像 投稿者:T.S  投稿日:04月23日(日)08時38分12秒
もう1週間以上経過しましたが、ANGEL GATEのことを取り上げた
ニュース画像を見つけました。けっこう長時間、輝信のことが
とりあげられてますし、最後にシンシアと紀信さんが来場された
時の映像もあります。いつまでアップされているかわかりませんが
ぜひ皆さんご覧ください。
http://bb.goo.ne.jp/contents/KYDGNC/KYDGNC200604140001/index.html
ところで、これってダウンロードできるのでしょうか。
方法ご存じの方、教えてください。

修正 投稿者:betti  投稿日:04月22日(土)06時39分42秒
I'm not lefted behiind
の訳は間違っています。
というか、色々な解釈ができると思います。

Cynthia Clipsを観直して 投稿者:betti  投稿日:04月22日(土)06時25分58秒
絶対、今のほうが若いですね、シンシアは。
Clipsを観直してそう思いました。
実際を言えば、ちょっと目じりが下がってきたかなって
感じましたが、でも、それよりもっときれいになっておられた。

I'm not lefted behind.

後ろは振り返らない、ってことですよね。
その後の表現は、トナカイさん、キンドーさん、u3さんらお願いします(笑)。

今回の座談会は、それを我々に見せていただいた、そんな気がします。

不埒な表現かもしれません、今はセレブかもしれません、が、
『成長したシンシア』をファンの前に見せていただいた、
そんな感じです。

今のシンシアが格好良いって、幸せですよね。
我々も、シンシアのように楽しまねば!!

ボタンのほつれをほどいて、とっとと帰ってきてくれたシンシア。
あのスピード感。以前より速かったんじゃないかな?
なんかあれに一番感動しました。
我々に今あの走り方ができるか。

シンシアがわざわざでていただいた彼女の想いだと勝手に考えています。
というか、その自信を持たれたという感覚ではないでしょうか。

初めまして 投稿者:はる  投稿日:04月21日(金)21時34分54秒
皆さん、初めまして。

シンシア初対面でした。本当に感激しました。

トナカイさん、ありがとうございます。
拝読するにつれ、情景がプレイバックします。

お別れの「これで最後です」と言うメッセージは、
「人は自分が気にしている事を口に出す癖がある」の逆説で、
’カンバック’
と、受け取りました。が。

如何?

日本航空学園ミュージカルアカデミー 投稿者:T.S  投稿日:04月21日(金)21時18分36秒
会場前に停まっていた日本航空学園のバス。それが
酒井さんの関係です。日本航空学園ミュージカルアカデミーと
いうのがあり(山梨県みたいです)、酒井さんがそこの
校長先生をやっておられるそうです。
先日の、酒井さんの受賞パーティーでも、そこの学生さんが
出演されていたようです。

なるほど 投稿者:betti  投稿日:04月21日(金)17時37分58秒
彼らは酒井さんの「門下生」でしたか・・・。
航空学校のバスが止まっていたので、てっきり、その関係かと・・・。
誰か教師をしている人がいて、遠足代わりに連れてこられたのかと
思っていました。ファンとしての自覚が足りないと反省して
おりましたが、これで一安心(笑)

Jポップの感想 投稿者:KINDO  投稿日:04月21日(金)16時38分9秒
 15日の「講演・J-POPのあゆみ」の会場には、もう一度
ご本人に逢えるならどんな形にせよ、その願いが叶えられる
チャンスとあって、全国からたくさんのサオリストがやって
来てくれました。
 開演4時間前から並んだという熱狂的なファンも沢山いて
ビックリ。その昔、コンサート会場で並ぶファンの姿を髣髴
させる光景が、そこにはありました。(懐かしィ〜)
 参加者の中には「シンシアが出演? まさか〜ッ」と半信半疑の
まま来てしまった人や、この日がドキドキの「生シンシアと初対面」
だという人や、「ラストコンサート」以来28年前ぶりだと言って
当時を思い出し涙ぐむ人など、それぞれの思いを胸に講演会に
望まれたことと思います。
 講演は曲を聞いた後、思い出話を両者が語る形式でした。ある
参加者曰く、「一曲まるごと流してくれたのでじっくりと詞の
一語一句を改めて聞くことができて、新たな解釈をする機会が
できて良かった」と話してました。わたくしKINDOは曲が
流れている間は、走馬燈のように甦る当時の思い出に浸って
しまい、音楽は、その時聞いていた頃の友の顔や街の風景や
風の臭いまでも甦らせてくれて、どんな音楽のジャンルで
あろうと、好きな楽曲に出会えたことは幸福だし一生の宝に
なるんだなあ〜とつくづく思ってしまいました。
 そして、幾年経ってもその楽曲は通じ合う友と語り合えることが
できる魅力もあるという素晴らしいものです。もちろんそんな曲を
通じ、これからも新しい友となる人との出逢いもあるでしょう。
それは何よりも老後の楽しみです。(笑)
 公演後の集い(同窓会?)に参加された多くの方や初対面の人、
全員とじっくりお話できなかったのは残念ですが、これからの
機会に期待しましょう。そうです! 老後の楽しみっていうヤツに…。
 なお、17会からの提案により酒井さんとシンシアに花束を
プレゼントする呼び掛けに、賛同された多くの方々からお気持ちを
頂くことができました。この場を借りてお礼をしたいと思います。
開演前のあわただしい中、短い時間で交流も満足にできません
でしたが、本当にありがとうございました。
 最後に、この講演を発案された酒井さんと、だまされちゃって
出演に応じたシンシアに感謝いたします。
 尚、20歳位の若い参加者達は酒井さんの門下生で、授業の一貫で
来場したのだと思われます。これからの音楽業界を担う
「たまごちゃん」たちです。思い出に残るいつまでも愛される楽曲を
世に送り出してほしいものです。頑張ってくださいね。10年前に
成人式(2度目の)を迎えたおじさんからのお願いです。(笑)

Jポップの歩み第7回対談報告10 投稿者:トナカイ  投稿日:04月20日(木)23時52分14秒
【10.「色づく街」 有馬三恵子作詞 筒美京平作曲 南沙織 1973年】
『第2部と言う事で。皆さん、お待ちかねの彼女の話が少なくて、余計なのが色々言っていて。
それはもう感じているのですが。』

『ホントにあなたは結婚して幸せそうだし、それでいて変わらないですね。何か今日の事は、
篠山(紀信)さんには内緒らしいんですよ。』

“土曜日で家にいて、でも朝食もちゃんと出しましたし、「君はどこに行くんだ?」って。
黙っていて、「美容院行くんだ、ハイキングかも」って。お洋服を袋に詰めて、途中で着替えて
(少し笑い転げながら言っていてかわいいです)。”

『前に篠山さんにね、「ホントに彼女は変わらないですね」って言ったら。「酒井さん、
お金がかかってるんだよ」「金がかかってるってどういう事?」と聞いたら「特別な冷凍庫に
入れているだよ」って。』

“そんな事ないですよ。こき使われています。”

『今日は「Jポップの歩み」という事で漫才じゃなないんで。』(爆笑)

『そうですね、最初、彼女の代表作である「色づく街」を聞いていただいて。これも有馬・
筒美作品です。』(曲がかかります。)

Jポップの歩み第7回対談報告9 投稿者:トナカイ  投稿日:04月20日(木)23時35分50秒
【09.「魚たちはどこへ」 有馬三恵子作詞 筒美京平作曲 南沙織 1973年】
『この歌も大変反響がありました。どうでしたか。この歌を歌っていた頃の気持ちは?』

“この曲はアレンジがとても好きで、今聞いてて思い出したんですけど。筒美先生が
(レコーディングで)私が歌うのを聞いてて、うなずいてニコッと笑って。筒美先生、
気に入ってたんじゃないかしら。”

『そう、筒美先生はとにかく、あなたの作品だとご機嫌になりましたね。』

“この曲に関しては、(筒美先生に)直されていないですね。こうしなさいと言われていません。
歌いたいようにどうぞな感じで。

 出来上がった時に当時、高校時代のお友達の家で、出来たばかりのテープを持って行って
みんなで聞いて、「いい、いい」って大騒ぎした事があって。今思い出しました。”

『今はこうして言っていますが、あの当時は主張が強くて、どちらかというと攻撃型でしたよね。』

“そうでしたか?”

『歌う時に前向いて歌うんだ、な感じで、主張が全面に出ていました。』(な意味の事を言っています。)』

“レコーディング大好きでした。”

『あの当時は(発売)枚数が多かったです。シングルは出す、アルバムは出す。年に4枚は
シングルを出して、アルバムも同数でしたからね。』

“今はそういう時代じゃないんですか?”

『今は数字が重視されるんです。年に一枚ぐらい売って。(積み重ねた売り上げで)ミリオン
セラーに見せるとか。そういう数字にとらわれて、人の気持ちが(曲に)入ってこないのが多いですね。』

“今回、(Cynthia Premiumでコラムを書くために)自分のアルバムをチェックしていて、
6月1日にデビューしてるんですけど、4ヶ月後にアルバム(=17才)を出していて。
更にその2ヶ月後にまたアルバム(=潮風のメロディ)を出していて、すごいスケジュール。”

“今思うと、あたためてあたためて、こだわって・・・、出したかったな。”

『そうですね。これからやるのはどう?』

“いえ、いえ。”

『あなたの好きな作品ですよね、「魚たちはどこへ」。これはどういう思い出があるんですか。』

“短い曲なんですよ。明るくって。(歌詞に)強さがある。”

『「魚たちはどこへ」も、あなたじゃなきゃ歌えないですね。』

“私も聞いてみたいから、誰か歌ってくれないかなと思うんですよ。”

『今じゃ無理ですよ。』

“やっぱり、童謡みたいなので。”

『童謡みたいというより、テーマが難しいですね。「魚」にかけて人間の気持ちを歌うからね。
まあ、聞いてみましょう。』

(曲がかかります。この曲はリフレインが無いので、フルコーラスかかりました。)

『「純潔」とか「傷つく世代」とは対照的に、動から静に変わっている曲ですね。これは
あなたが好き曲というのは、今聞いても変わらない?』

“こんなに大人っぽい声で歌っていたんだ。”

『あなたの声は十代から熟していたんです。それは(観客の)皆さんも感じていると思います。
熟していて言葉を突くからたまらないんですよ。

 だから、どっちかと言えばあなたの系譜で、松田聖子さんがデビューの時に、あなたの
レコードは全部聞いていた、ですよね。

 南沙織の系譜を継承しているのが、松田聖子かもしれません。いかにも言葉を突くんです。
それに続けて明るいというイメージですしね。』

『この曲はテレビなどでは歌わなかったですか。』

“一度も歌いませんでした。コンサートだけで。”

『コンサートだけですね。では、ここで10分間の休憩をいただきます。』

Jポップの歩み第7回対談報告8 投稿者:トナカイ  投稿日:04月20日(木)22時45分50秒
【08.「傷つく世代」 有馬三恵子作詞 筒美京平作曲 南沙織 1973年】
『南沙織の影の部分というか、ちょっと深い所を出した作品だったと思います。あまり好きでは
なかったのかな?』

“いや好きでした。でも、これはアルバムの方ですね?”

『アルバムです。この当時は、(故)上村一夫さんの「同棲時代」というマンガというか劇画が、
若い人の間に大ヒットしていたんです。

 (このタイトルのように)言葉が新しい、それでいて日本語がきれいだ、こういう所に
南沙織が行くべきだ、と考えたのが、次の「傷つく世代」なんですね。

 今になって種明かししているんですが、その「傷つく世代」を聞いてみましょうか。』
(ここで曲がかかります。前半終了の予定時間が迫っているので、ここはシンシアは相づちのみで、
踏み込んだ話はしていません。)

Jポップの歩み第7回対談報告7 投稿者:トナカイ  投稿日:04月20日(木)22時33分44秒
【07.「哀愁のページ」 有馬三恵子作詞 筒美京平作曲 南沙織 1972年】
『(「純潔」は)南沙織を真剣に見守ってきた有馬・筒美コンビのこれは結晶だと思うんですね。』

“私、この曲を初めていただいた時に、「辞める、辞めない」とすごく悩んでいた時に、この曲を
聞いた時に、「あー、歌いたい」と思ったんです。

 私は、タイトルの意味を分からないので。でも(言葉の)響きが私にとって、とても新鮮でした。”

『筒美さんは、あなたの歌いぷりをとても吟味して、サウンドにとけ込ましたようですね。』

“(今聞くと)声が大人っぽいですね。「17才」の時より。”

『今言ってましたように、彼女はデビューして、夏でしたよね。その年の暮れには「辞めたい」、
翌年も「辞めたい」。

 でもよく考えてみると、「辞めたい」という時ほど真剣さを保っているんですよね。脱皮しようと
するんですね、マンネリになっていく所から。

 (72年頃は)「辞めたい、辞めたい」が口癖でしたよね。芸能界が合わなかったのかな。』

“(少し笑いながら)合わなかったですね。こういう性格なので。本来はすごくあがり性で、
どっちかというと、(私は)おうちの中ではものすごく明るい人なんです。

 よく母も、「何でおうちの中ではこんなに明るいのに、外ではこんなに暗いの?」って。”

『暗くはなかたですよ。さっき「(私は)芸人ではない」と言っていましたが、芸能関係な
雰囲気には抵抗があったんですね。

 そういうのが発言とはファッションに出ていましたね。(服装が)ちょっと女子大生
みたいでしたね。(いかにも芸能界な服は着ないという意味らしい)』

“最初はそう。最後は、どんどん(服装が)地味になっていきましたね。”

『「純潔」という意味は全く分からないで歌っていたんだ。』

“「純潔」って「ピュア」、気持ちのピュアさな感じでとらえていて歌っていたんですね。
でも(この曲は)アレンジや詩が大好きでした。

 どちらかと言うと、「暗い歌」がどんどん年を取るとつれて増えて。でも、私個人は本当は、
ものすごく明るい曲が好きでしたね。

 何であの時はあんなに暗い曲が、酒井さんにとって暗くなっちゃんたのは、私のせい?”

『そんな事はないですよ。明るい暗いと言えば、あなたは明るい人ですよ。音色も明るい、
雰囲気も明るい、太陽の下で生きてきた人です。

 でも芸能界で受けるには、意外性ってのがあるんですね。明るい人なんだけど、
ややさみしい歌を歌った時、光と影では影の方が濃い(=受ける)という事があるんですね。

 それが言えると思うんです。あなたがさみしそうな歌を歌う時に、(雰囲気が)
伝わるんですよ。』

『そんな光と影を活用した「哀愁のページ」を聞いて下さい。これは僕が一番
好きな曲なんですね。』
(かかった曲はシングルカットでなくLPアルバムの方です)

なるほど 投稿者:betti  投稿日:04月20日(木)22時21分34秒
さすが、トナカイさん。参考になりました。ありがとうございます。

昨日、カラオケに行ったのですが・・・、シンシアを連発することは
当然のこととして・・・(笑)、
歌い方について、非常に上達したとマスターに褒めていただきました。

首というか顎というかの、「縦振り」と「横振り」を上手く区別すれば
かなり歌えますよ。曲が流れているときのシンシアの表情をみていて
これが彼女のリズムのとり方だと分かりました。それがまた昔のままで…。
縦のときは目線は下。横のときは斜め上でしょうか?そんなに大きな動きではないのですが。

会話ももちろん楽しかったのですが、曲が流れているときのシンシアの動きが心に残ります。

A:素朴な疑問 投稿者:トナカイ  投稿日:04月20日(木)21時49分53秒
 シンシアは休憩後の酒井さんとのトークで、今日の事は紀信さんには黙って
出てきたと言っています。

 これはジョークだと思います。もしくはこう考えられます。「紀信さんは知らなかった事に
した方がいい」と。

 紀信さんは酒井さんの音楽講座にシンシアが出る事を知らなかったとすれば、
後でこう言うことも出来ます。

 友人のカメラマン:紀信さん、奥さんが酒井さんのJポップ講座にゲスト出演
したそうじゃないですか。
どうして教えてくれなかったんですか。知っていたら絶対行ったのに。
 紀信:いやぁ、私も知らなくて。あいつが勝手に行ったらしいんだ。

 こんな感じでとぼけられます。

 それとは別にシンシアの言葉を額面通りに受け取るとすると、どこで着替えたのでしょうか。

 一番考えられるのは、デパートです。シンシアがよく行くという伊勢丹新宿本店に行き、
買い物ついでに試着室で着替えたのではないでしょうか。

 次に考えられるのは、友達の家で着替えたというものです。当日帰る時は二人の女性が
一緒でした(17日の投稿参照)。友達が運転する車で彼女の家に帰って、また着替えて
帰宅したのではないでしょうか。

 ここまで、対談を再現していると分かるのですが、酒井さんは打ち合わせ無しのぶっつけ
本番でシンシアと対談しているようです。

 講座の講師として、酒井さんはかける曲を決めて−パンフにも印刷されています−
一人ならこう話すという順番は決めていたとおもいます。でもシンシアに何を話して
もらおうとかは何も決めていなかったと思います。

 会話がかなりかみ合わない事が多いからです。でも酒井さんもそれを楽しんでいる
風にも思えます。

 我々ファンは、27年間、シンシアがファンの前に姿を現すのを待ちました。
酒井さんも、シンシアをファンの前に出させてあげたいという思いをずっと持っていて、
今回、27年ぶりにそれを実現させたのではないでしょうか。

 酒井さんの話しぶりは、プロデューサーとしての面と一ファンとしての面が
両方感じられました。シンシアファンとしての酒井さん、彼女と二人で話せて、
とても嬉しそうでした。

 そして、そんな酒井さんに感謝します。

(無題) 投稿者:馬飼野元宏  投稿日:04月20日(木)13時43分5秒
ご無沙汰しております。「映画秘宝」編集部の馬飼野です。
この間のシンシアと酒井さんのトークショー、実は僕も
ひっそりと観にいきました。一番うしろの席でしたが、満席、
補助椅子付き、当日券なしというのに驚きでした。そして、
あまりの美しさに衝撃を受けました。
声が現役時代とほとんど変わってないのにも驚きました。
紅白で復帰したときも「色づく街」を歌い終わったあと、
おどけたような表情をしたのを観て「変わってないー!」
と思ったのですが、今回もやはり。特に、退場の際の手の
振り方。子供の頃にテレビで観ていたシンシアそのまんまの
仕草だったような気がします。いろいろなことを思い出しました。
僕の隣席は、なぜか10代とおぼしき男子、女子の集団でした。
なんででしょう。。。
ところで、まったく関係ないことを調べていたら、シンシアの
カヴァー曲を発見したのでご報告します。81年にデビューした
沢田富美子というナベプロのアイドルが82年にファンクラブ
限定で発売したライブカセット「素顔の青春 富美子イン・
コンサート」と言う商品があるのですが、この中で「青春に
恥じないように」をカヴァーしています。FC限定発売のうえ、
カセットのみでアナログLPは出ていません。アポロンからの
発売で品番はAPOLLON-KSA111です。手元に音源がないので
どんな歌いっぷりかは不明ですが、沢田さんはけっこう歌の
上手い人(岩崎宏美さんぽい)でした。アポロンはカセット
販売のメーカーですが、渡辺音楽出版のカセットなどはここで
出していましたね。
ご報告まで。

素朴な疑問 投稿者:betti  投稿日:04月20日(木)10時03分14秒
シンシアは、当日のことは篠山氏には報告しておらず、
『朝ごはんはちゃんと出して』、「美容院に」というふりをして、
「途中で着替えて」来られたそうです。どうでもいいですが、
どこで着替えられたのでしょうか?
酒井さんとは別々にホールに来られたことはたしかだから・・・

駈けるシンシア 投稿者:betti  投稿日:04月20日(木)09時38分9秒
↓のトナカイさんの書き込みのところで、
シンシアがボタン?のほつれを直しに行って
帰ってきたときの走り方がすごく可愛かったです。
変な言い方かもしれませんが、変わっていないな。

Jポップの歩み第7回対談報告6 投稿者:トナカイ  投稿日:04月19日(水)23時58分26秒
【06.「純潔」 有馬三恵子作詞 筒美京平作曲 南沙織 1972年】
『ここまでは、全て有馬・筒美作品ですが、』

“ちょっと失礼します。”

(シンシアは引っかかった所がどうしても取れなくて、舞台から一度下がっています)

『有馬さんは、彼女にとって母親のような存在だったんです。彼女の言う一言一言を聞いて、
アドバイスしてくれて。』

“ごめんなさい”(とシンシアが戻ってきました)

『大丈夫ですか。』

“失礼しました。”

『いつもこういうにぎやかな所もあるんですか。』

“どちらかと言うとおっちょこちょいなんです。”

『そんなことないですよ。ともかく、「主張」という事では、アイドルで主張をしたのはあなたが
第一号です。アイドルって、言われたままに行動するというのか。お人形のようになるんですよね。

 アイドルで意思というものを感じた、主張を感じた第一号だと思います。』

『三人娘、ほとんど同期ですよね。小柳ルミ子さんは一期上かな。』

“ちょっと先輩です。”

『小柳ルミ子さんと天地真理さんと三人娘と言われて。あなたの人気が沸騰するにつれて、
マスコミのバッシングが、スキャンダルが起こったんですね。』

『マスコミというのは面白い物で。あれだけ人気があるのは、何か裏がある、と思うんですね。
答えを見つけようとするんですね。ですから皆さん、マスコミに引っかかっちゃだめですよ。
今は政治の世界でスキャンダルが起こっていますね。マスコミがよく(話を)作っているなと
思いますね。』

『彼女のスキャンダルはすごかったですね。今は、個人情報を保護する方があったりしますが、
逆に個人情報保護法のような物が出てくると、こう言っては問題ですが、スターが生まれなくなると
思いますね。

 スキャンダルがあった方が、ファンも心配するし、それが勢いになっていく(こんな事を
言っています)。私は、マスコミ(の姿勢)には反発していましたが、逆に大いに活用して
いこうとも思っていました。

 南沙織にどうしてこうスキャンダルが出るんだろうか、そうだと考えたのが、次にお聞き
いただく「純潔」だったんですね。』

『「純潔」というのは、今はどうか知りませんが(今もと思いますが)、当時は死語だったん
ですね。古いと、第一乙女なんて絶滅したんだと。でも私は、これが答えになると思ったんですね。

 そして(発売されると)大変な反響でした。「純潔」を聞いてみましょう。もう引っかかって
ないですね(爆笑)。』

Jポップの歩み第7回対談報告5 投稿者:トナカイ  投稿日:04月19日(水)23時21分33秒
【05.「ともだち」 有馬三恵子作詞 筒美京平作曲 南沙織 1972年】
『この曲を録音していた時ですが、筒美さんもいて、彼が一番あなたの声に惚れ込んでいましたね。
「シンシアは、自分の作品の言葉を創るんだ」と言っていました。(酒井さんは筒美さんは言葉を
表現とは言わず創ると言っているそうです)』

『英語が話せる(英語的に思考できる)から、こういう日本語になるんでしょうね。』

“分からないんです、そこの所が。”

『リズムに乗せて言葉を創れるというのは、(日本語だけの)我々はダーとしてしまうんですね。
そういう意味で、回りも(作りがいがあると)楽しかったですね。』

“27年前に引退して(それ以降)、ほとんど自分の曲は聞かないですね。運転していてラジオから
(自分の曲が)流れると、思わず車を止めて聞いてしまうんですけど。おうちで自分でCDを
かける事はあまり無いです。

 何て言うか、そこまでナルシストになれないの。自分の歌に酔えないっていうか。どこか
あら探しをしてしまう。自分の曲のどこかどうなのか、未だに分からない。”

『不思議な発音、不思議な歌い回しですね。』

“デビューした後、よく回りの人に「物まねしないでいいのよ」と言われて、それは気を
付けていたんです。”

(こんな意味の事をシンシアが言っていました。これは独特の発音が素敵なので直さないでと
回りが言っていたようです。シンシアは、今、酒井さんに言われて、あの時の回りの言葉の
意味がやっと分かった感じでした)

『筒美さんは、「あれだけ言葉を創れる人はいない、出会えない」と言っていましたね。』

『歌手になって、最初の頃は沖縄が恋しかったでしょうね。』

“最初の頃、特に一ヶ月は。”

『最初がホテル住まいでしたね。』

“ホテル住まいでしたし、最初のプロダクションの屋上に行って泣いたり、ホームシックでしたね。
こんな気持ちが(いつか)無くなるのかな、無くなって欲しいなと思うくらい強かったですね。”

『彼女のデビューは、(今から考えると)ウソみたいなんですよね。とにかく、沖縄に
こういう少女がいる、私が会ってみたいと言う、こちらに来る、即決で(デビューが)
決まる訳ですね。』

『決まって、もう次の来日の時はレコーディングでしたよね。』

(ここでアクシデント発生。シンシアの服と袖がくっついたみたいです。「潮風のメロディ」が
かかっている最中に、服の飾りに袖がひっかかって、取れなくなってしまったようです)

“ちょっと取れなくなっちゃって。”

『とにかくレコーディングを急いで(年末の賞レースに間に合わせる意味のあると思います)、
デビューした時は、空港に着いてそのままテレビ局行きでしたよ。もうテレビを何本も掛け持って。』

“あの時の私は、ものすごく度胸があって。どんどん度胸が無くなっていく。(後半は今の事を
言っているよう)”

『度胸というより10代の若さでしょう。ともかくすごく多忙で。ふと我に返るとさみしいと。』

“さみしかったですね。ホテル住まいだったし。”

『ホテル住まいが一番安心と考えたんですね。ルームサービスとかあるし。その頃、「友達が
いたら」と盛んに言ってたんですね。で、「ともだち」という企画になった。』

“あっ、そうなんですか。”

『全部あなたの成長記録なんです。その後の郷ひろみさんや山口百恵さんら、全部あなたの企画を
参照にしているの。成長の記録はファンも一緒に自分も共感を持てるという、一緒に歩んで、
一緒に育てるという愛情を持てるものですね。』

“デビューから一年、この一年の私は、ものすごく多感でしたし、ある意味反抗期で、
南沙織という名前が先に行ってしまうのがイヤで。もともと芸人ではないので。

 ずっと悩んでいた時に、酒井さんが当時、とても厳しくて恐い存在でいたから、言葉は
悪いんですけど、「こんちくしょう」ていう反発があって、それがよかったと思うんです。

 全ての原点だと思います。私の。色んな事に対して目覚めた。狭い視野だった私が大きく
色んな事を考える。

 まだその時期は(将来の事など)見えないんですけど、考える、自分をすごく見つめて
いけたので。酒井さんのような恐い存在がいた事を、今思うと、ものすごく感謝しています。
これで許して下さい。”

『私の10代と比べて完全に負けていますね。では「ともだち」を聞いていましょう。』

多分 こう思ったのですが。 投稿者:Bello  投稿日:04月19日(水)22時56分14秒
トナカイさん、力作ありがとうございます。思い出しながら、
楽しんでいます。

>>『「あなたの話からヒントを得ています」と言うと、本音を言わなければいけない。
                          =============

「あなたの話からヒントを得ています」と言うと、シンシアが、酒井さんの
前で本音で話してくれなくなる、そうすると飾ったことしか話さなくなるから、
歌詞をシンシアの言葉からヒントを得ていたという事は、今まで言わなかった。
ファンが望んでいるのは、本音であって、飾ったものじゃないし、ファンは、
本音か飾ったものかをすぐに見分ける事が出来るんだから。

と、思ったので、多分、聞き間違いでなければ、

「あなたの話からヒントを得ています」と言うと、本音を言わなくなってしまう。
と、酒井さんは言ったのではと思います。

たった数日前の事なのに、記憶がぼやけてきています。

Jポップの歩み第7回対談報告4 投稿者:トナカイ  投稿日:04月19日(水)21時46分51秒
【04.「潮風のメロディ」 有馬三恵子作詞 筒美京平作曲 南沙織 1971年】
『(終わって)アレンジでこう変わるんですね。原型は残していますが。あなた(シンシア)の
場合、「私は今生きている」に自分の主張が入っていました。録音した時は16歳、デビュー
してしばらくしたら17歳の誕生日が来ると言うので、題名を「17才」にしました。

 人間にも旬があり、あなた(シンシア)の声は正真正銘の17歳の声でした。森高さんの声は
もう少し歳が行っている声です。』

『レコーディングの時に有馬さんと話していると、シンシアとの会話から詩のヒントを得ている
と言っていて、それで声と歌詞がぴったりすると言っていました。当時、よく言われたのが
「本人が詩を書いているんじゃないか」と。それくらい歌と声が合っていました。(ここ文は
かなり言葉を加えています)』

“(詩を書くと言われたのか)実は、今回発売のプレミアム・ボックス(Cynthia Premium)の
ために何か書いて欲しいと言われました。酒井さんには言わなかったんですけど。

 私、いつも悩むんです、2・3週間、一ヶ月近く悩んで、「はい、じゃがんばってみます」と
答えて。1週間で22枚書きました。アルバム21枚(1枚に原稿1枚)にもう1枚です。
当時の事を思い出しながら書きました。

 (今の話は初耳で)当時の私がレコード制作に(間接的に)関わっているなんて全く
思いませんでした。”

『「あなたの話からヒントを得ています」と言うと、本音を言わなければいけない。
本音はファンが一番待っているものです。本音に少し誇張するのがさじ加減で、これが
テーマなんです。(この辺り意味不明)』

『羽田空港であなたに会った時、この子こそ寺山さんが言っていた生き生きとした少女だと
思いました。まるで海の向こうから何かがやってきた、潮風が運んできたようだ、と思いました。』

“それで「潮風のメロディ」ですか。”

『そういう事で、「潮風のメロディ」お願いします。』(曲がかかります)

Jポップの歩み第7回対談報告3 投稿者:トナカイ  投稿日:04月19日(水)01時35分40秒
【03.「17才」 有馬三恵子作詞 筒美京平作曲 森高千里 1989年】
『本日の特別ゲスト、南沙織さんです。

 Jポップと言うのは、日本の曲に外国の要素を合わせた歌謡曲で(こういう意味の事を
言いました)、その元祖が南沙織さんです。こうして合うのは何年ぶりかな?』

 “えーっと、酒井さんからこのお話をいただいたのは、確か8ヶ月くらい前でした
(その時に会っているという意味らしい)。

 小さな講演で、4・50人の集まりなので来て、と言うので「主婦の集まりなのかな」と
思って軽く引き受けたんです(シンシアはこう解釈したらしい)。”

『だまされた、という事ですか』(場内爆笑)

“「Jポップ・・に出るんですか」と他の人に言われて。「えっ、どうして知ってるん
ですか?」と聞くと、「(ネットに)出てますよ」と言われて、驚いて(ゲストの意味を
そこで知ったらしい)。・・・今日は、頑張ります”

『よろしくお願いします。』

『Jポップの原点の南沙織の曲を聞きながら、南沙織を解剖して行きたいと思います。』
『「17才」はみんな歌いたがる曲です。ここ数年は途絶えていますが、森高千里さんの
「17才」ですね。私の所にリメイクしたいと挨拶に来ました。

 キレイな人ですが、すごく化粧をしていました。そういう時代なんですね。』

『(シンシアに向かって)あなたが初めて歌った時は、正真正銘の16才でしたね。』

“はい。”

『初めて羽田空港に来た時、歌手としてやっていこうと決意した時、どういう気持ちでした?』

“小さい頃の夢に「歌手になりたい」があって、漠然と思っていました。思春期に入って、
少しその夢から離れた時にこの話がありました。私はずっと沖縄にいると思っていたら
(お話があり)、チャレンジ精神というのかな、やってみようと思いました。”

『第一印象で、私は(シンシアが)英語しか話せないと思い込んでいた。それがアナウンサーが
話すような正確な日本語を話して。

 言うことがイエス・ノーかがハッキリしていました。(この辺り、シンシアは何度もあいづちを
うっています)』

『森高さんはこの時、二十歳近くでしたが、どうしても「17才」を歌いたいと言っていました。
筒美さんも有馬さんも、快く承諾してくれて。どう変わったか、ここで聞いてみましょうか。』

(曲がかかります。初めて最初から聞きましたが、シンシアの「17才」のイントロの前に、
テクノっぽいイントロが付いているんですね)

Jポップの歩み第7回対談報告2 投稿者:トナカイ  投稿日:04月19日(水)01時07分19秒
【02.「17才」 有馬三恵子作詞 筒美京平作曲 南沙織 1971年】
 『(曲が終わって)私にとって思い出深い作品です。こうして寺山さんと仕事をしている頃
(1970年頃)、沖縄から一枚の写真が届きました。

 その写真を見て、寺山さんの言っていた「生々しい生き生きしている人」と直感しました。

 当時の沖縄は外国(米軍治世下)でした。来るのにパスポートがいるんです。沖縄と連絡を
取って、「是非ともお目にかかりたい」と、本人に来日してもらい、羽田空港に迎えに行きました。

 一目見て、こういう人がこれからのアイドルというか、新しい歌手になるんだな、と思いました。

 センスが良かったと思いますし、陽に焼けていて、髪が長くて、今で言うと、アイドルと
言うより女子アナウンサー向きというか知的な雰囲気、知性を感じました。

 それが16才の内間明美さんでした。今は、篠山シンシアさんですが、お呼びしたいと思います。

 南沙織さん、どうぞ』

 (酒井さんが言うと同時に「17才」がかかり、下手奥からシンシアが登場します。シンシアは
無言で歩いて、酒井さんの向かいの上手側の椅子に座ります。曲はそのままかかっています。
登場時に場内は満場の拍手です。)

Jポップの歩み第7回対談報告 投稿者:トナカイ  投稿日:04月19日(水)00時50分19秒
(この報告の性格)
 酒井さんの音楽講座の解説です。曲名リストは「酒井政利のJポップの歩み
第7回報告5」を参照下さい。あちらの曲番に沿って様子を書きます。

 何人かの人とメールして出来るだけ再現しようと思います。酒井さんなり
シンシアなり、この報告の文章は私の作った物ですので、実際とは違うと
思って下さい。文責は全て私にあります。出来るだけ会場の雰囲気を
伝えたいと思います。

 酒井政利のJポップの歩み〜アーティストクローズアップ編〜 第7回 南沙織

【01.「時には母のない子のように」 寺山修司作詞 田中未知作曲 カルメン・マキ 1969年】
 講座が始まり、酒井さんが下手(舞台に向かって左)より姿を現し、
下手側の椅子に座ります。この講座は全て会話で成り立ち、ボード(黒板)
などは使われません。

 曲をかける時は、酒井さんが「○○をかけて下さい」とか言います。

 進行として、酒井さんとシンシアが話し、曲をかけます。酒井さんは
こんな事を言いました。

 『沢山の方にご来場いただき嬉しいです。桜はほぼ散りましたが、
後で皆さんお待ちかねの特別ゲストが会場に花を添えてくれるでしょう
(あえて名前を言っていません)。

 花と言えば、我々プロデューサーは土壌なんです。土壌に種や木を
植えて、芽を出さない時もありますが、木に大輪の花が咲いて欲しい
と常に願っています。

 プロデューサーとして人との出会いが一番刺激を受けます。今まで
一番刺激的だった方は、劇作家の(故)寺山修司さんでした。

 私はコロムビアやソニーと言ったメジャー系ですが、寺山さんは
アングラ系(反メジャー)なんですね。

 寺山さんは、メジャー系の人は物を作りすぎると言っていました。
食品で言うと、添加物で着色するような物で、味が良くても深みが
無い。同じように作りすぎるのは間違いだ、と言っていました。

 アイドルで言うなら、作り笑顔ではなく生の魅力で勝負したら
どうか、その世代の生き生きとした物で勝負をしたらどうか、
と言われました。

 この考えに、私は頭を殴られたような衝撃を受けました。その
寺山さんと組んだのが「時には母のない子のように」でした。』
(ここで曲がかかります)

追伸 投稿者:トナカイ  投稿日:04月18日(火)08時36分5秒
巻末です。

週刊女性自身5/2号 投稿者:トナカイ  投稿日:04月18日(火)08時33分54秒
今日発売の週刊女性自身5月2日号に、輝信さん役者
デビューが小さな白黒グラビア記事で。

本人と縦長の記念切手大のシンシアと紀信さんの全身像の
写真が載っています。

同日発売の週刊女性には載っていないようです。

週刊アエラ1997年6月2日号の記事 投稿者:トナカイ  投稿日:04月17日(月)23時59分30秒
 ガンバルナ沙織

 70年代を彩ったアイドル南沙織が、深夜枠で流れる
「フィリップモリス エクストラライト」のCMソング
「初恋」を歌っている。

 CD発売の予定はなかったが、「反響が大きく、急遽発売
した」(ソニー・ミュージックエンターテイメント)。

 「17才」でデビューしたミニスカートのアイドルも42歳。
篠山紀信氏と結婚し、三人の子の母親でもある。長男は、すでに17歳。

 とはいえ、声も容姿もさほど変わっていない。「婦唱夫随」の
小柳ルミ子、今やコメディアンみたいな天地真理と、他の三人娘の
変貌ぶりにがっかりのお父さんにとっては、最後の希望の灯かも。

 「彼女が若いのは、いつも冷凍庫に入れているから」と篠山氏は
ノロけるとか。

 殺到するCM出演や取材を断り、在宅歌手を貫く彼女。頑張って
働く必要はないものね。でもそれでいい。頑張らないでね。南沙織。

AERA 1997.6.2 P87(簑島弘隆)小さなカラー写真が一葉載っています。

幸せでした 投稿者:ユウサン  投稿日:04月17日(月)23時20分48秒
 誰か書きこまれたかな? 同じ空間、同じ時間を過ごせた、
しかも同じ空気を吸えた、それだけで最高の幸せを感じました、
今でも目を閉じればあの光景がはっきりと目に浮かびます、
講座が終わった後、何人かの方が蕎麦屋さんへ入っていかれるのを
見ましたが17会の二次会とは思いもしませんでした、私は出てきた
序でに千葉にいる弟を訪ねて一泊させてもらい日曜の夕方戻りました、
弟が「何で東京へ出てきたの?、ひょっとしてまた転勤?」と
「実はな、南沙織に会うために出てきたんだ」「何!追っかけかよ?」
しっかりと笑われた「何とでも言え!、もう会える機会は無いと
思ったから出てきたんだ!」弟の嫁さんも横で笑っていた、「でも、
お兄さん若いですね、南沙織に会うためにだけ出て来るなんて」
「はい、私の永遠の女神ですから、会えるのだったらどこへでも
出かけて行きます!」彼女が最後に発した言葉、たくさんの方が
書き込まれていますが「いつまでもお元気で」を心に刻んで。

土と生 投稿者:betti  投稿日:04月17日(月)22時36分49秒
酒井さんの最初は、我々は土であり、
そこに生(作られたものではない)の木を植えて
それをどう育てるのかが課題で、最初は、カルメン・マキで
自分が最初に発掘したのがシンシアだと・・・。
もちろん失敗する場合も多いけれど、シンシアはその成功例だとか。
英語しか話せないと最初は思っていた、とか。

ともかく、プレミアムの22枚(?)のシンシアのコメントは期待大です。
3週間考えて考えて、1週間でかきあげたとか。

リズムに叩きつけるように歌詞をつけるところが
シンシアの特徴で、それはこれまでになかったことで
それを受け継いだのが松田聖子だとか・・・。

でも彼女になくてシンシアにあるものは『母性愛』だとか。

(無題) 投稿者:はら  投稿日:04月17日(月)22時28分34秒
この掲示板に載せていただき、『夜霧の街』のポスターは
無事に捜していらしたご本人へお渡しすることが出来ました。
本当にありがとうございました。

ところで、代々木上原には一度も降りたことがなく、
せっかく、コガミュージアムに来たのだからと、
講演会終了後、館内を少々見学し、帰ることにしました。

見学も終わり、3階でエレベータのボタンを押し、待って
おりました。しばらくするとエレベータが到着、ドアが開き、
中へ入ると、なんとシンシアご本人とお母様(?)、
それに知人の方が乗っているではありませんか。
本当にびっくり致しました。
3階から地下までの短い時間ですが、1メートルにも
満たない、ほんの目と鼻の先に距離にシンシアがいたのです。
勿論、ふたこと三言ですが、直接シンシアとお話することも
出来ました(感激のあまり、会話の内容は覚えておりませんが)。
なぜシンシアがエレベータに乗っていたのかと申しますと、
駐車場を捜していて、間違って上階まで上がって来てしまった
とのことです。講演会でシンシアが言っていた、
『私ってそそっかしいんです』を、まさに実感させて
いただいた幸運なひと時でした。

あなたは今も17才でいてください 投稿者:betti  投稿日:04月17日(月)11時57分27秒
これが正確な酒井さんの最後のメッセージでした。
曲が流れているとき、メロディーにあわせて首を
縦に横にスイングしていたシンシア。それから目線の動き。
割と直線の距離、というかシンシアの席からは真正面の席
だったので、一部始終を緊張しながら見ておりました。

ありがとう 投稿者:T.S  投稿日:04月17日(月)00時54分43秒
ありがとうシンシア、シンシアは自分関連のページは
見ないそうですが(あえて見ないようにしていると言って
おられました)、どうしても感謝の気持ちを何らかの形で
あらわさないといられません。
シンシア自身、酒井さん、ご主人の篠山さん、そしてこの
企画に関連していただいた皆さんや、情報を提供して
くださったこのCynthia Street関係の皆さんに感謝します。

対談から丸一日が過ぎましたが、まだまだ高揚した気持ちは
おさまりそうにありません。シンシアは容姿は現役当時と
ほとんど変わらず(より美しく)話し方は全く当時のままで、
27年の歳月を感じさせないものでした。ファンの期待を
裏切らず、こうあって欲しいという理想の姿をそのまま
見せてくれました。シンシアは「今日は、頑張って出て
きました」と言っていましたが、僕からは「今日まで
よく頑張ってきてくれました。」と言いたいと思います。
既に何人もの方が書いておられますが、シンシアの魅力の
中に「母性愛」があるという酒井さんの指摘には目を
見開かされた思いがしました。その歌声に秘められた
母性愛に癒されていたことに始めて気づきました。

酒井さんは、シンシアのことをボーカリストとも
言っておられます。シンシアが引退していなかったら、
陽水さんや拓郎さんや多くのアーティストの人たちが
曲を提供したがっていたということです。
一般的にはアイドルと言われてしまうシンシアですが、
その歌唱力も評価が高かったということが窺われました。

本当に改めて南沙織のファンで良かった。シンシアと
いう人に出会えて出来て良かったと感じた一日でした。
今後、こういう形で南沙織として人前に現れることは
あまりないのかもしれませんが、以前の七夕の日の
新聞広告のようなことや、息子さんやご主人の活躍を
通じてシンシアが幸せでいることが伝わってくれば
うれしいと思います。シンシアの幸せを支えているのは、
何よりも御家族だと思います、「いつまでもお元気で」
というシンシアの言葉に応えるためにも、篠山家を
見習って家族を大切に生きていきたいと思います。
See You Again,Cynthia!

同じ空間にいるリアリティ 投稿者:deco  投稿日:04月17日(月)00時03分33秒
こんばんは、二度目の書き込みになります。私も講演会に
感動したので、感想を投稿させていただきます。
初めて眼のあたりにするシンシアさんは想像していた以上に
美しく、言葉を選んで美しい日本語を話される知的な方でした。
感動の講演会を終えて帰途につく時にはとてもすっきりとした
きもちになれました。それが何なのか考えてみたら、今日
やっと南沙織さんの引退を受け入れたんだと思いました。
今まで媒体を通してしか歌に姿に接することができません
でした。引退に関してもそうでした。だから、どこか曖昧な
まま引きずって来たものが有った気がするのです。
それが昨日、ご本人を前にさよならコンサートの17才を聴き
「皆さんお元気で」のメッセージを残してステージから
去られたとき、はっきりと区切りがついた気がします。
当時さよならコンサートに行かれた方がその場で体験された
ことを、二十数年を経て実感しました。随分鈍い感性の持ち主
ではありますが、媒体を通してではなく生身の人間の持つ、
そして同じ空間に居るというリアリティは大変なものだと
改めて痛感しました。
このような機会を与えてくださった酒井政利さん、シンシア
さん、関係者の方々に感謝します。ありがとうございました。

食事会には大勢の方が行かれたんですね。17会の方々とは
面識が無い私ですが、こんな機会ですので少し顔を出させて
頂くつもりでした。でも事前に店名などを確認していなかった
ので、食事会に行かれる方々を見つけられませんでした。
また機会がありましたら宜しくお願いいたします。
最後に、トナカイさん、キンドーさんをはじめ今回いろいろと
お骨折りくださった方々お疲れ様でした。

酒井政利のJポップの歩み第7回報告17 投稿者:トナカイ  投稿日:04月16日(日)23時35分58秒
 この報告もこれが最後になりました。17会では17進法
なので、17より上の数字は無いんです。書くなら別のタイトルに
なります。

 講座の内容で、他に覚えている事を書きます。

 お二人が座っていて、口の近くにマイクがあります。マイク
スタンドで棒の横から腕が伸びるように水平に棒が伸びていて
マイクが付いています。最初の方、シンシアのマイクが口から
離れていて、シンシアの声が聞きずらかったです。途中で
シンシアがアームを動かしてマイクを口に近づけて、よく
聞き取れるよぅになりました。

 最初の方だったと思いますが、森高千里さんや松田聖子さんは
シンシアの曲を随分聞いていると言っていました。

 シンシアの曲は、すごく本人に合っているので、シンシア
自身が作詞しているんじゃないかと酒井さんはよく聞かれたと
言っています。

 酒井さんは、歌と言うのは歌詞と曲が出来た時点で、6割方は
完成すると言っていました。それを50にするか90にするかは、
歌手の歌い方次第という意味の事を言っていました。もちろん、
シンシアは歌を90にする人です。

 講座でかかった17曲の内、「魚たちはどこへ」のみがB面の
曲です。シンシアが好きな曲なので放送リストに入れたそうです。
この曲もあなたでしか歌えない曲と酒井さんが言っていました。

 これはうろ覚えですが、「色づく街」で面白い話を。70年代
前半は雑誌でもカラーを使える事が少なかったそうです。ある時に
中学生かな、酒井さんに「どうして白黒やカラー写真が撮れるん
ですか」とか聞いた子がいたそうです。

 酒井さんはそれにヒントを得て、「色づく街」という曲を
構想したそうです。作詞の有馬先生が見事に才能発揮して、
「青い枯れ葉噛んでみたの」と歌詞を入れています。わざと色を
歌詞の中に盛り込んだのです。もっとも「青い枯れ葉」なんて
あるかと言われたとか。

 ともかく初めて聞く話ばかりで、これからも続けて欲しい対談でした。

 酒井さん、シンシア、今回の講座ありがとうございました。

酒井政利のJポップの歩み第7回報告16 投稿者:トナカイ  投稿日:04月16日(日)22時56分35秒
 終わった後の17会の話です。多くのシンシアファンが
集まるので、17会の会員や知り合った人と講座後に集まりたいと
思い、夕食会を開きました。

 こう集まりは早さが勝負です。その日に帰る人もいますし、
会場近くで店に集まりたいんです。コガミュージアムは代々木
上原駅近くなのですが、案外店が少ないんです。

 2週間前の土曜日の午後4時に会場周辺を下見しました。店の
半分近くは、土曜日は休業でいした。他の店も午後5時あたりからの
営業の店が多いです。

 駅からコガミュージアムまでは「>」の字に行くのが一番
近いです。「>」の下の端から斜め右に行って、角を曲がって
坂を少し登ると坂の右側がコガミュージアムです。

 道の曲がり角近くに候補になった店が二つありました。
「ファイヤーキングカフェ」という店と「志のせ」という
そば屋です。

 志のせが比較的空いているので、志のせに決めました。前日
にも行って明日来ますと伝えました。

 連絡が付いた人を数えると33名ほどの人が集まりそうです。
志のせの席は確か33席、何とかなると当日店に。

 店には二組のお客さんがいましたが、他のテーブルは全部
座って、その内の他のお客さんもお帰りになり、全席を私達が
占める実質貸切状態になりました。

 ほとんどが17会の会員ですが、他に知り合った人もいて、
おそばを頼んだり、お酒を飲んだりしながら、シンシアの
思い出を語り合いました。

 私が、14日のスポーツ新聞を16部用意しました。遠方
から来る方も多いので事前に買っておきました。14部が
シンシアの写真入り、2部が写真無しの新聞です。昨日の
新聞を買っていなかった人に一人一部をプレゼントして、
全部はけました。

 他にキンドーさんが「シンシア・プレミアム」のチラシを
10部ほど持ってきて、持っていない人に差し上げました。

 1時間半ほどいて、この場はお開きに。12名が駅の入って
いるビルにあるマクドナルドで二次会をしました。シンシア
ファンは、お酒に弱い人が多いんです。

 ここのマクドナルドは、二つに分かれています。同じ階に
ありますが、間が壁で仕切られていて、一つはテーブルだけ。
もう一つの方に売り場が併設されています。

 ここで飲み物とアップルパイなどを頼みながら、1時間半
ほどいました。9時過ぎにお開きになりました。

 講座に参加された方、夕食会に参加された方、ご苦労様でした。

感動の1日。 投稿者:kumasan  投稿日:04月16日(日)22時46分34秒
とにかく昨日は、感動の1日でした。今もまだ余韻に浸って
います。もう会えることは無いだろうと思っていたシンシアに
会えるだけでも感動ものなのに、現役時代とあまり変わらない声と
姿に、一瞬当時にタイムスリップしたようで、感動を通り越して
ちょっとウルウルしてしまいました。今回の企画をした酒井さん、
そして出演を決断したシンシアに感謝の一言です。

講座の中で私が一番印象に残ったのは、「気がむけば電話して」の
演奏の後に酒井さんが語ったエピソードです。シンシアの曲の
制作に当たっては常に根底に彼女の持っている母性愛が一番の
テーマ、題材としてあったと語っていました。失恋しても、
寂しがっていても相手を包むやさしさがシンシアのテーマだと。
今も3人の息子を思いやる母性愛の強いシンシアですが、当時から、
自己主張はするけど、相手を思いやり包み込むようなシンシアの
母性愛をスタッフは感じていたんでしょうね。私が今でも
シンシアのファンでいるのも、シンシアの歌を聞くたびに
何か癒されるのも気付かずに、その母性に惹かれていたのかと、
何か納得できた話でした。
ちなみに、酒井さんはシンシア以降のアイドルには、A・Nにしても
S・Mにしても全く母性は感じられない(会場爆笑)と辛辣なことも
言っていました。

シンシアがアルバム毎に書いたというコメント付きのプレミアム
Box楽しみです。
「これで最後です」なんていわないで、今後も何か活動して
ほしいものです。

感動 投稿者:ユウサン  投稿日:04月16日(日)22時36分46秒
 久しぶりにファンの前に姿を見せてくれたCynthia 、
当時のイメージそのままでした、終始和やかな雰囲気でした、
彼女があんなにお茶目だったとは、「普段の服は黒系ですが
今日はがんばって白いのを着てみました」と、私と四つしか
違わないなんて思えませんでした、見えないところでの努力が
あると思います、後は皆さんが思い思いに書き込まれています
ので重複しますのであえて書きません、彼女のデビュー曲
「17才」と、ともにステージへ出てきた瞬間やはり冷静では
いられませんでした、いきなり当時へフラッシュバック
目が熱くなって涙を抑え切れませんでした、ありがとう
Cynthia!、あなたは私の青春のよき思い出です、そして
あなたのファンでいたことを誇りにして明日からまた仕事に
励みます、これに懲りずにたまには出てきてください。

酒井政利のJポップの歩み第7回報告15 投稿者:トナカイ  投稿日:04月16日(日)22時21分0秒
 講座が最後、「ライブ版17才」がかかる前に、シンシアが挨拶しています。

 「今日は、遠い所から北海道や宮崎から来ていただいて、ありがとうございます。(対談は)
27年ぶりですけど、、もうこんな事はきっとないと思います。

 がんばって生きていきます。元気なおばあちゃんになって生きていきます。みんなも元気で
生きて下さい。」

 講座の後半で、酒井さんが今日の観客の事を言っていました。電話申し込みで住所を言うので、
観客の住所を知っていて、「今日のお客さんは、北海道や宮崎からも来ている」と言っていました。

 「ライブ版17才」では観客も手拍子している人がいました。歌が終わって、シンシアと
酒井さんに花を贈るファンがいました。

 その後、シンシアにコガミュージアム側から花束が贈られました。男性係員が渡していまたが、
女性の方がいいと思いました。

 シンシアは贈られた花束を手にして、「ありがとうございました」とか言いながら、にこやかに
舞台から去りました。花束を手にしたシンシアは、現役時代と全く変わらない姿でした。

 講座が終わった後の話です。続々と観客が帰る中、終演後5分ほどした時に、酒井さんがロビーに
姿を現しました。

 本の写真やテレビで酒井さんを見ますが、実際に本人を見た人はほとんどいないでしょう。
私も初めて実物の酒井さんを見ました。

 身長172cm位でロマンスグレイの髪で引き締まった体をしています。グレイのスーツでした。

 酒井さんの回りを数十人の観客が見ていて、話しかける人や一緒に記念撮影する人もいました。
酒井さんも、今日の講座には大満足のようでした。

酒井政利のJポップの歩み第7回報告14 投稿者:トナカイ  投稿日:04月16日(日)21時45分50秒
 ユーミンの話とあとだったと思いますが、酒井さんが二つの事を言いました。

 人は自分が気にしている事を口に出す癖がある。ある程度の年になると、誰でも自分の老いを
気にします。すると会った人に「老けましたね」と言ってしまったりします。

 酒井さんはシンシアには「母性愛」があると言います。どういう事かと言うと、人を思いやり、
安心させるようなオーラがあるという事です(オーラという言葉は酒井さんは使っていません)。

 「母性愛」の対極が「自己愛」だそうです。何でも自分が一番で、自分の事を最優先すると
いう考えです。

 酒井さんは、シンシアはレコーディングの時にも、言いたいことを我慢している時があったと
いう意味の事を言っています。でも回りもシンシアのそんな人柄から和やかな雰囲気が出ていた
とかも言っていました。

 シンシアがこんな事を言っています。デビューから数年後から、回りの気持ちを思いやるように
なったと言っています。いつも、こう言ったら相手がどう思うかを考えてしゃべると言っています。

 ここで言う母性愛とは母親になる事とは別の話です。私は、酒井さんのこの言葉を聞いて、
長年思っていた疑問が氷解しました。

 シンシアの話す言葉に安らぎを覚えるのか、シンシアの事を考えると楽しい気持ちになれるのか、
このようなシンシアに惹かれる感情は、私がシンシアの母性愛のオーラを心地よいと感じていたからでした。

酒井政利のJポップの歩み第7回報告13 投稿者:トナカイ  投稿日:04月16日(日)21時13分57秒
 ここまで書くと、書きたいことの大半を書いたので、だいぶ満足です。一つ週刊誌情報を。

 週刊新潮に「Lady's Seat」という連載がありました。毎週、女優の顔のわざと変な表情の写真を
載せるものです。

 シンシアとあべ静江さんが05年4月14日号に載っています。4月10日の投稿をご参照下さい。

 この連載が先週号で終わりました。今週号の4月20日号では総集編的に3ページに20葉、
21人の美女(?)の写真が載っています。

 シンシアとあべ静江さんの写真も載っていてこの写真だけ二人写っています。3年半連載と
あるので、125号分ほど連載されている筈で、その中からの20葉です。どんな基準で選んだのか。

 二人が携帯の画面をのぞき込んでいる写真で、去年連載されたのと同じ写真です。二人へのコメントです。

 「17才」と「みずいろの手紙」も画面と目、遠いス

 ともかく怒濤の一週間に、この写真が載ったのも何かの縁です。

感謝! 投稿者:TANAK  投稿日:04月16日(日)19時55分1秒
とにかくたくさんの人に感謝した1日でした。まずは、
今回の企画を立てて実施していただいた酒井さん(こういう
シニアになりたいですね)、古賀ミュージアムの方々
(メディアがいないのも良かったと思います)。それと
ゲスト出演したCynthiaですが、単に出演されただけではなく、
28年も変わらない容姿と声、それとファンのことを考えた
服装。私は、コンサートにも行ったことがないので、初めて
お会いしたのですが、ちょっと若めの服装だなぁと思って
いました。しかし、さよならコンサートなど行かれていた
ファンの方から蕎麦屋で伺った話では、あのときとほぼ同じ
衣装のイメージなのだそうです。あぁ、これはファンを思い
やった結果なのだ。Cynthiaが何度も口にした「今日は
頑張ってます」はそういう意味だったんだ。感服です。
なかなかできないことだと思います。また蕎麦屋でスポーツ紙や
プレミアムのパンフを用意していただいた17会の皆様、
ありがとうございました。蕎麦屋には30名ほどいましたね。
みんな感動していて話がやむことがありませんでした。今日の
一番の驚きは、Cynthiaの明るい性格。酒井さんの解説などの
知識も加えて、私の中では新しいイメージでもう一度CDを
聞くことができます。またPremiunでは、Cynthiaのアルバム
ごとのコメントが着くとのことで、また新しい発見ができそうです。

酒井政利のJポップの歩み第7回報告12 投稿者:トナカイ  投稿日:04月16日(日)19時50分7秒
 酒井さんは、見方によっては口説くようにシンシアと話しています。あなたは恵まれ
過ぎていると言っています。酒井さんは、人には出会い運があると言います。

 シンシアは、良い曲に恵まれ、今でも熱烈なファンがいるし(と客席を少し見ました)、

素敵な旦那さんがいて、三人の子供にも恵まれている、恵まれ過ぎと言っています。

 本気で誉めていますが、「ほんとに子供三人産んだの?」と言っています。

 紀信さんとこんな話をしたと、中盤あたりに言っていました。

 酒井:紀信さん、奥さんはどうしてあんなに若々しいんですか?
 紀信:酒井さん、お金がかかっているんだよ。
 酒井:え?
 紀信:特注の冷蔵庫に入れているんだよ。

 似た話が、1996年(あたり)のアエラ(週刊誌)の巻末にも載っています。

 シンシアは、子供はずばっと物を言うので、こわいとか言っています。紀信さんに何か言われるより、
子供に何か言われる方が核心をついていてグサッと来るような事を言っていて、そんな子が三人も
いるんですと言っています。

 次男の輝信さんが一昨日にプロ役者デビューしましたが、その事も含めてシンシアの子供の話は
上の話以外は全く話されませんでした。

 ついでに酒井さんの文化庁長官表彰や先日のパーティの話なども一切出ていません。

酒井政利のJポップの歩み第7回報告11 投稿者:トナカイ  投稿日:04月16日(日)19時37分32秒
 講演内容の続きです。インターネットの話も出てています。

 この講座に出ることは誰にも言っていないのに、何人かの人から出るんでしょうと言われて、
どうして知ってるの?と聞くと、ネットに情報が流れていると言われたそうです。

 シンシアは、めったに自分の曲は聞かないそうです。ただ、ジャニス・イアンと会った思い出を
文章にした時−詳細は05年12月2日の投稿を参照に−は、ジャニスへの手紙をずっと聴いていたと
言っていた気がします。

 最後の方で、印象に残る話がいくつも。

 引退した後、紀信さんと結婚しますが、現役中は紀信さんとはつき合わなかったそうです。
撮影の仕事などでしょっちゅう会ってはいたでしょう。酒井さんは、次のような事を言いました。
それはあなたが歌手をしていたから。もし歌手をやめていたら、彼は即刻結婚を申し込んだでしょう。

 これは酒井さんが他の雑誌にも書いていますが、結婚するらしいと噂が流れた引退後にシンシアと
食事をしたそうです。シンシアも誰と結婚するとは言わなかったそうです。シンシアは、
「こんな頭の人です」と両手をもじゃもじゃな感じを表現しました。酒井さんは、「井上陽水」と
結婚すると思ったそうです(場内爆笑)。

 「青春に恥じないように」の作詞のユーミンの話です。シンシアは結婚して長男が生まれて少し
経った時と言っていましたから引退後5年ほどしてからでしょうか。ユーミンと井上陽水、紀信さんと
食事をしたそうです。

 酒井さんも言っていますが、アーティストというのは、攻撃的だと言っています。ユーミンは
何となくシンシアに当たっている感じだったそうです(この辺は私の言葉で書いています)。

 ユーミンは「母親に取って、子供が自分の最高傑作だから、子供を作ったらそれ以上の作品は
生み出せない」な旨を言ったそうです。シンシアは、その時ほど、世間から離れた専業主婦で
ある自分を恨めしいと思った事は無かったそうです。

 酒井さんは、ユーミンの言う事を認めながら、ユーミンも子供を作りたかったんだとか言っていました。

酒井政利のJポップの歩み第7回報告10 投稿者:トナカイ  投稿日:04月16日(日)19時20分0秒
 講演内容についてですが、膨大なので、ダイジェスト盤を。記憶違いもあるかもしれません。
話をまとめるために私の言葉で書く部分もあります。そのつもりで読んでいただけると嬉しいです。

 酒井さんは、寺山修司さんと一緒に仕事をして、飾り気のないその人の本質だけで勝負できる
歌手を育てたいと思いました。

 ちょうどその時に、沖縄から一枚の写真が届きました。それを見て酒井さんは「これだ」と
直感しました。

 羽田空港にシンシアを迎えに行き、直感が確信に変わった旨を言っています。最初、英語しか
話せないと思いこんでいたら、アナウンサーのような正確な日本語を話すので、ビックリしたそうです。

 即日契約で、次の日からレコーディングの準備のような強行スケジュールだったそうです。
シンシアは何度も沖縄と日本を、パスポートを持った外国人として往来します。

 本格的に歌手デビューするために来日した時は、そのままテレビ局に歌いに行ったそうです。

 酒井さんからシンシアに、この講座にゲスト出演の話が来たのが数ヶ月前だったそうです。
シンシアはきっと内輪の集まりで50人ほどの人数だと思っていたのが、220人の一般ファンも
参加と聞いて「だまされた(酒井さん談)」と思ったそうです。

 酒井さんは、シンシアの歌う曲をシンシアの成長に合わせたものにしていきました。
沖縄から一人で上京して友達が欲しいとシンシアが言っていて、その時に作ったのが「ともだち」だ
そうです。

 筒美先生と有馬先生も、シンシアに曲・詩を提供するのが楽しみな旨、酒井さんは言っています。
筒美先生は、シンシアの声に惚れ込んでいたそうです。

酒井政利のJポップの歩み第7回報告9 投稿者:トナカイ  投稿日:04月16日(日)19時05分35秒
 お二人の服装です。酒井さんはスーツ姿でした。

 シンシアは、白いロングドレスです。シンシア的にはかなり珍しいファッションです。

 うまく説明出来ないのですが。白いロングドレスです。生地は純綿でしょう。長さ30cm
ほどの幅を3枚か4枚縦につなげて縫ってあります。裾はくるぶしまの上あたりです。
上着はシャツはよく分かりませんが、上からクリーム色っぽいカーデガンを着ていたと
思います。その上にショールを羽織っていたとも思います。

 足下はポックリサンダルに近い感じの底が少し厚い物でした。

 髪は真ん中より少し左で分けています。肩までかかるセミロングのストレートです。
めがねをかけています。

 この講座は音楽をかけている時間が長いです。17曲かけて、一曲2分30秒として
42分30秒間、実際は55分くらい曲がかかっていたと思います。2時間の講演時間にです。

 酒井さんは自分もシンシアも観客も、じっくりと音楽を味わって欲しいとほぼフルコーラスをかけます。

 戸惑ったのはシンシアだったと思います。曲がかかっている間、じっと聞いていないといけないのです。
目の前には220人、440の眼がじっとシンシアを見ています。

 最初は硬直していたように固まっていたシンシアも、後の曲がかかると体を前後に少し
揺らしたりしていました。

 シンシア自身は、先日の酒井さんのパーティでも乾杯の音頭を取ったりと、人前に出るのは
慣れているかもしれませんが、じっとしているのは、そうない経験です。

 かなり気疲れしたと思います。シンシア、ご苦労様でした。

 しかし、ファンで無くても驚愕するのは、シンシアの声です。最後にかかったのは、
調布グリーンホールでのさよならコンサートで歌った「17才」です。

 退団の日が1978年10月7日、あれから28年弱、10052日も経っています。
それなのに声が全く変わっていないんです。

 声だけ聞いていると、20代のままです。容姿も30代でも通じる美しさですが。

とにかく感動! 投稿者:373  投稿日:04月16日(日)18時02分16秒
はじめて投稿します。Art of lovingの方は土日は休みのようで、
余韻のあるうちに、この感動を誰かに伝えたいのです。リアルタイム
からのファンです。Cynthiaの存在はビートルズと同じくらい
僕の人生に影響を与えてきました。外見的な容姿の美しさは勿論、
Cynthiaの、その生き方にブレがないことに感動しました。デビューして
2、3年目ごろの雑誌のインタビューで「可愛いおばあちゃんになるのが
夢」といっていました。当事は10代の女の子が年寄り臭いことを
言ってるんだと思いましたが、昨日もおなじことを言ってました。
また調布での引退コンサートの最後のことばも「私は、どこにいても
一生懸命生きています」でした。昨日は「頑張っています」と何度
いったことでしょうか。CYNTHIAは内面的にもこの上ない
美しい女性だと思います。この広い宇宙でCYNTHIAの歌声に
出会ったことに感謝しました。
酒井さん、関係者の皆様、本当にありがとうございました。

最高! 投稿者:betti  投稿日:04月16日(日)16時59分6秒
チケット電話予約だったので、12時過ぎに到着。すでに
30人ほどの方が並んでおられ、その緊張感に耐え切れず、
せっかく東京に来たのだから蕎麦を食べに行って帰ってきたら、
もう百人以上。すさまじい!!

シンシアの登場後、『だまされました』には笑いました。曲ごとに
酒井さんの意図と、シンシアの思いがあって、とても面白かったです。

最後に酒井さんの『17才のままでいてください』(だったかな?)
のメッセージ、我々にも贈っていただいたのかな?。

さてと、明日から頑張りましょう。シンシアのように

本当に素敵でした 投稿者:もりころ  投稿日:04月16日(日)16時02分49秒
前日遅くまで仕事、朝早く起きて初めての会場に着いた時は、
とてもきつかったです。しかし疲れは吹き飛びました。舞台に
現れたシンシアは、まさに光り輝くような美しさで息をのみました。
「いつも黒が多いんですけど、頑張って白を着てきました」という
その姿は、春の妖精そのもの。昔と変わらぬ可愛らしい話し声に
落ち着いた大人の女性らしい美しさが加わったシンシア。でも途中、
上着のカーディガンにホックがひっかかり、舞台袖にひっこむ
お茶目な一面もあり、本当に和やかな講座でした。また、シンシアが
語った話で、初めて聞くことも多く、飽きることがありません。
酒井さんの暖かな話し振りも素敵でした。寒い日でしたが心が
温かくなりました。
酒井さん、そして話を引き受けて、出てくれたシンシアに深く
感謝します。もう出ることはない、なんて言わずに、たまには
何らかの形で姿を見せてくださいね。シンシアが解説を書いた
プレミアムを楽しみにしています。

酒井政利のJポップの歩み第7回報告8 投稿者:トナカイ  投稿日:04月16日(日)14時57分9秒
 写真のアップありがとうございます。シンシアと酒井さんと
同じ大きさの花を贈っています。酒井さんのは少し青系統の花が
多かったです。

 お二人に当てたメッセージカードです。

 Dear シンシア
 ありがとうございました。
 あなたのファンより

 酒井政利さんゑ
 ありがとうございました。
 南沙織ファンより

 宝町の花屋シンシアにお願いしました(各1枚)。下に籐製の
バスケットを置いてその上に花をあしらうようにお願いして
ありました。17会の皆さんにカンパを募って、シンシアファン
全体としてお二人に贈りました。カンパいただいた方、ありがとう
ございます。

 花屋シンシアが土曜日休みなので、金曜日の夕方に友達に
手伝ってもらい、別の友達の家に運び、当日コガミュージアムに
運びました。

 最初から土曜日に渡すと伝えてあったので、保湿剤か何かが
下に敷いてあるのか、かなり重い花束になりました。

 シンシアには、ここ数年はお誕生日に花を贈っていますが、
酒井さんには初めてです。ファンとして、シンシアの生みの親に
花束を贈れて幸せでした。

酒井政利のJポップの歩み 写真 投稿者:勝手にトナカイ氏の代理  投稿日:04月16日(日)13時59分10秒
プレゼントした花束の写真です。(携帯電話のカメラで撮影したので、
画質が荒くてすみません)

酒井政利のJポップの歩み第7回報告7 投稿者:トナカイ  投稿日:04月16日(日)12時09分39秒
 講座の進行の説明です。舞台の下手側(左)に酒井さんが座り、上手側にシンシアが座ります。
司会役とかはいません。

 この講座は、毎回用意した曲をかけて、酒井さんが講評する方式のようです。今回、酒井さんが
用意した曲は17曲、いい数字です。

 音を大切にする酒井さんらしく、一つの曲はほぼ全メロディかかります。最後の方のリフレイン
(繰り返し)の方は省略されますが、一番だけかけるような事はしません。

 今回は、1番から9番までをかけて、ここまでがほぼ1時間。10分の休憩の後に残りの
8曲をかけてほぼ1時間でした。

 コンサートではないのでアンコールはありません。

 最初、酒井さんが登場して、1番の曲をかけて話した後、シンシアが登場しました。

 最後は花束贈呈がありました。お二人とも下手後方から登場して退場しています。

 観客はとても静かに聞いています。最後のライブ盤17才までは手拍子などもありませんした。

 質問時間とかはなかったです。

酒井政利のJポップの歩み第7回報告6 投稿者:トナカイ  投稿日:04月16日(日)12時00分5秒
(パンフ2ページ)
ミュージアム講座

酒井政利のJポップの歩み〜アーティストクローズアップ編〜

 歌謡曲が全盛だった昭和30年代から昭和40年代に移ると、新しい感覚の“Jポップ”と
呼ばれる歌が誕生します。本講座では、Jポップの歴史とその誕生の背景、また歌にまつわる
エピソードなどを、レコードを聴きながら紹介していきます。

 講師には、敏腕ディレクターとして多数の制作現場を踏んだ、Jポップの生みの親ともいえる
酒井政利先生をお迎えしてお送りします。

 第7回になる今回は、特別ゲストに南沙織さんをお迎えし、講師の酒井政利先生との対談形式で
行います。酒井先生と出会ったデビュー当時のお話など、様々なエピソードを南さんの作品とともに
お楽しみいただきます。

講師:酒井政利(音楽プロデューサー)
 和歌山県生まれ。立教大学卒業後、日本コロムビアを経てCBS・ソニーレコードへ。
南沙織・郷ひろみ・山口百恵など多くのスターを世に送り出す。

 「愛と死をみつめて」「魅せられて」で2度日本レコード大賞を受賞。伝説のプロデューサーと
言われる。現在は酒井プロデュースオフィス代表取締役を務め、メディア・プロデューサーと
して音楽分野にとどまらず、映画・舞台の企画・制作も手掛けている。また、カウンセラー・
TVコメンテーターとしても活躍中。

 平成17年にはJポップの確立と地域の音楽文化の発展に対して優れた成果を発揮したことから、
音楽プロデューサーとしては初めて文化庁長官表彰を受けた。

特別ゲスト:南沙織(篠山シンシア)
 沖縄県出身。琉球放送のTV番組でアシスタントをしているときにスカウトされ、CBS・
ソニーと契約。1971年に「17才」でデビュー。小麦色の肌にサラサラのロングヘアー、
マイクロミニスカート姿の彼女が歌う「17才」は、沖縄=サウスアイランド=海=まぶしい夏と
いう彼女のキャラクターそのままのさわやかさで大ヒットし、NHK紅白歌合戦にも出場を果たした。

 同時期にデビューした小柳ルミ子や天地真理と「新三人娘」と呼ばれ絶大な人気を博したが、
上智大学に入学し学業に専念するため芸能界を引退。その後、写真家の篠山紀信氏と結婚する。

酒井政利のJポップの歩み第7回報告5 投稿者:トナカイ  投稿日:04月16日(日)11時31分1秒
(パンフ3ページ)
酒井政利のJポップの歩み〜アーティストクローズアップ編〜 第7回 南沙織

    曲名           作詞      作曲     歌手  発表
01.時には母のない子のように 寺山修司作詞  田中未知作曲 カルメン・マキ 1969年
02.17才          有馬三恵子作詞 筒美京平作曲 南沙織 1971年
03.17才          有馬三恵子作詞 筒美京平作曲 森高千里 1989年
04.潮風のメロディ      有馬三恵子作詞 筒美京平作曲 南沙織 1971年
05.ともだち         有馬三恵子作詞 筒美京平作曲 南沙織 1972年
06.純潔           有馬三恵子作詞 筒美京平作曲 南沙織 1972年
07.哀愁のページ       有馬三恵子作詞 筒美京平作曲 南沙織 1972年
08.傷つく世代        有馬三恵子作詞 筒美京平作曲 南沙織 1973年
09.魚たちはどこへ      有馬三恵子作詞 筒美京平作曲 南沙織 1973年
10.色づく街         有馬三恵子作詞 筒美京平作曲 南沙織 1973年
11.人恋しくて        中里綴作詞   田山雅充作曲 南沙織 1975年
12.ひとねむり        落合恵子作詞  筒美京平作曲 南沙織 1975年
13.気がむけば電話して    中里綴作詞   田山雅充作曲 南沙織 1976年
14.青春に恥じないように   荒井由実作詞  川口真作曲  南沙織 1976年
15.哀しい妖精        松本隆作詞   Janis Ian作曲 南沙織 1976年
16.春の予感-I've been mellow 尾崎亜美作詞 尾崎亜美作曲 南沙織 1976年
17.17才−さよならコンサート実況録音盤 有馬三恵子作詞 筒美京平作曲 南沙織 1978年

酒井政利のJポップの歩み第7回報告4 投稿者:トナカイ  投稿日:04月16日(日)11時25分7秒
 今回の講座では、事前に電話予約して当日にチケットと代金を引き替える人がほとんどでした。

 チケットはシンシアと酒井さんの写真も印刷されている立派な物です(4月4日の投稿参照)。

 チケットを入り口でもぎってもらうと、パンフレットが渡されます。A4判4ページ(A3の
二つ折り)です。表紙にはお二人の写真、一番最後のページは次回予告や古賀音楽博物館の宣伝です。

 真ん中の見開きの左は酒井さんとシンシアの経歴が載っています。右側は今日演奏される曲名一覧です。

 場内は明るくて、新聞の悠々読める明るさです。

酒井政利のJポップの歩み第7回報告3 投稿者:トナカイ  投稿日:04月16日(日)11時17分10秒
酒井政利のJポップの歩み第7回報告3

 会場のけやきホールは定員220名のミニコンサートホールです。コガミュージアムの1階に
あります。入り口を入るとロビーで、階段を10段ほど下った所が入り口です。

 演劇用語に上手(かみて)と下手(しもて)があります。舞台を正面に見て、左側が下手、
右側が上手です。

 けやきホールは会場全体が入り口から見ると、90度傾いて配置されています。入り口を入ると、
下手端の座席が並んでいます。座席は真ん中に通路があり、左右に縦11列、横10席が並んでいて、
220席になっています。

 今日の講座では、一番後ろの席の後ろに椅子を沢山並べ、その後ろが通路で、一番後ろの
壁の前にも椅子がずらっと並べてありました。

 椅子は前から後ろの方にわずかに傾斜しています。一番前の席から前にステージがあります。

 ステージは高さ60cmほどでしょうか。会場全体の壁が木で出来ていて、とてもシックな
雰囲気です。

 会場の真ん中に高さ50cmほどのガラスのテーブルが用意され、テーブルの左右に椅子が
二つあります。上手側には、台の上に大きな花瓶があり、花が飾られています。舞台の上に
あるのはこれだけです。

 天井からは2段書きで看板が吊されています。

 コガミュージアム講座
 酒井政利のJポップの歩み

酒井政利のJポップの歩み第7回報告2 投稿者:トナカイ  投稿日:04月16日(日)10時56分54秒
 講座終了後、17会で用意した花を贈りました。バスケットに入ったかなり大きな
花です。一番大きな紙袋にやっと入る大きさです。シンシアと酒井さんに贈りました。

 講座終了後に、他の方一人がシンシアに花を贈っています。酒井さんには17会だけです。
他にコガミュージアムからも花束が贈られました。

 私達の贈った花は大きすぎて、ステージに置いておいて、シンシアは他の花束二つを持って、
ステージを去っています。

 酒井さんは終了後はロビーに出てきて、参加者とも話しています。きさくな方です。17会は
代々木上原駅近くのそば屋・志のせを貸し切る形で打ち上げの夕食会を開催しました。

 店は駅に通じる道路に面していて、17時近くに酒井さんが歩いていくのが見えました。
秘書らしい女性が贈った花を紙袋に入れて持っていました。

 酒井さんは電車で来たのですね。何て出来たプロデューサーなんでしょう。ちなみに会計の
時に今日の事を言ったら、酒井さんも志のせにはよく来るそうです。

酒井政利のJポップの歩み第7回報告 投稿者:トナカイ  投稿日:04月16日(日)10時47分14秒
 昨日酒井さんの音楽講座にシンシアがゲスト出演しました。

《 開催 》2006年4月15日(土)
《 時間 》開場13:30 開講14:00〜16:14
《 開場 》コガ・ミュージアム(古賀政男音楽博物館)けやきホール(定員220名)

 快晴の天気で風が少しあり、気温はちょっと低め、桜の花はほぼ散りましたが、残り火の
ように桜の花が少し残る春の一日、シンシアがファンの前に姿を現しました。実に1978年
10月7日以来の事です。

 会場のけやきホールはほぼ満席でした。出席した人を見ると、男性8割弱、女性2割強な感じです。

 男性は年輩の人が多くて、多くはシンシアと同じ40代後半から50代前半な感じですが、

70過ぎの方もかなりいらっしゃいました。女性は何故か20〜30代の方がほとんどでした。

 会場前に大型バスが一台止まっていて、どこかの学校のらしかったです(名前は忘れました)。
その女子生徒が参加していたのかもしれません。

 私の直感で、参加者の半分がこの音楽講座の常連(今回で7回目ですし)、半分がシンシア
ファンと思います。

夢のような一日 投稿者:Shigeru  投稿日:04月16日(日)09時12分21秒
夢のような一日が終わり、今、都内のホテルで朝を迎えています。
初めて見る生のCynthia、しかも最前列で拝見出来ました!まさに
心に描いていたイメージ通り、いやそれ以上でした!Cynthiaが
ステージに登場するだけで回りの空気ががらっと変わってしまう、
これが酒井さんのいうスター性というものなんでしょうか?
世の中にはやはり特別な人というのは存在するんですね。しかも、
ご本人が何度も口にされていたように、今はいち主婦であるにも
関わらず! 最後にこのような機会を作って頂いた酒井政利さんと
答えてくれたCynthiaに心から感謝申し上げます。

もう思い残すことはありません。 投稿者:京平先生の後輩  投稿日:04月16日(日)02時51分54秒
こんな素敵な日がまさかやってくるなんて!
生まれて初めて拝ませて頂きました生シンシアは光り輝く金色の
オーラに包まれておりました。酒井氏のお話から今のシンシアは
現役当時より一層女性として完成の域に達している様子が見て
取れました。正に母性豊かな‘月の女神’なんですね。私も
負けずに自己研磨しないとなあ。
17会の皆様、病み上がりの為、終了後の二次会は失礼させて
いただきましたが、本当にお疲れ様でした。

How wonderful life is while you're in the world 投稿者:Bello  投稿日:04月15日(土)23時23分43秒
シンシアが活躍していた時代に、シンシアとシンシアの歌を
好きになることが出来た事を、再び嬉しく思いました。それに
シンシアファンと知り合いになることも出来て。

最高の一日 投稿者:  投稿日:04月15日(土)23時13分15秒
久しぶりに書き込ませていただきます。
何とかスケジュールを調整して、コガミュージアムに行って
きました。私が生まれて初めて見る生のシンシア‥‥現役時代の
映像・声と殆んど変わっていない事に、言い尽くせない程の
衝撃を受けましたね。

酒井政利氏のウイットに富んだ司会進行。そして講座終了後、
ロビーに残っていた観客に感謝の言葉を述べてくださるなど、
本当に素敵な方です。

最後にシンシアが観客に放ってくれたメッセージ(いつまでも
お元気で)を胸に刻み、明日から又頑張ります。17会の皆さん、
本当に御疲れ様でした。

おきれいでした 投稿者:紗妃  投稿日:04月15日(土)20時47分23秒
今日は調布グリーンホール以来、生シンシアを拝見できて
夢のようでした。おきれいでした。
また、在宅でもよいからじっくり歌いこんだアルバムを
拝聴したいです。

(無題) 投稿者:ユウサン  投稿日:04月14日(金)20時18分41秒
 いよいよ明日です、Cynthiaに再び会えるのです、散髪をして
さっぱりとしてきました、遠足の前みたいに今夜は寝れるのかな、
新幹線の切符も手に入れたし道案内もプリントしたし。

エンジェル10 投稿者:トナカイ  投稿日:04月14日(金)12時59分48秒
輝信さんは高校生で主人公の少女の幼馴染みで同級生です。

少女は彼に片想いで生き霊で彼の部屋に行き、口づけします。
体はないのですが。

エンジェル9 投稿者:トナカイ  投稿日:04月14日(金)12時52分56秒
芝居の筋です。

天国から見習い天使三人がこれから事故死する少女を天国に案内するために地上にきます。

でも少女は幽体離脱で生き霊みたいになって、地上をさまよいます。

エンジェル8 投稿者:トナカイ  投稿日:04月14日(金)12時44分34秒
芝居の上演時間です。

第1幕70分
休憩15分
第2幕70分
第3幕15分(2と3幕の間は休憩なし)

当日券は開演1時間前から改札横の窓口で発売になるようです。

エンジェル7 投稿者:トナカイ  投稿日:04月14日(金)12時35分10秒
ロビーには出演者宛ての花が40ほど並べられています。
宛名を見ると、シンシアや紀信さんのはありませんでした。

小学館から紀信さん江てのはありました。

エンジェル6 投稿者:トナカイ  投稿日:04月14日(金)12時27分56秒
スポーツ新聞はほかの2紙(サンスポ、ニッカン)にも写真なしの
小さな記事が載っています。4紙に載っています。

初日の観劇はおしのびという事で、二人の記者会見はありませんでした。

四紙に載っている二人の写真は、揃いも揃って、少々ピンぼけの隠し撮りのような写真です。

こうゆうお約束なのでしょうか。

エンジェル5 投稿者:トナカイ  投稿日:04月14日(金)08時34分43秒
スポーツ新聞は4紙に載っています。

スポーツ報知
スポニチ
トウチュウ
デイリースポーツ

「篠山紀信氏息子が俳優デビュー」 投稿者:u3  投稿日:04月14日(金)08時01分49秒
スポーツ新聞各紙のウェブサイトに載っています。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2006/04/14/08.html
http://www.nikkansports.com/entertainment/f-et-tp0-20060413-18649.html
http://tochu.tokyo-np.co.jp/00/tkhou/20060414/ftu_____tkhou___001.shtml

投稿時点で、スポーツ報知の芸能面トップにリンクがありますが、
ページは開きません(Firefox 1.5.0.2、Opera 8.54)。
http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20060414-OHT1T00043.htm
スポーツ報知の記事の内容は、Yahoo!ニュースの方で読めます。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060414-00000043-sph-ent

デイリースポーツのウェブページは更新が遅いため、朝の投稿時には
載っていませんでしたが、現在は載っています(夫妻の写真あり)。
http://www.daily.co.jp/gossip/2006/04/14/211764.shtml

エンジェル4 投稿者:トナカイ  投稿日:04月14日(金)07時14分30秒
シンシアの服装です。髪はセミロング、眼鏡をかけています。

くるぶしまである黒のロングドレスです。花の模様があります。ほぼ実物と
同じ大きさの花がシルエットになっています。

花が白一色で茎や葉っぱ、花弁と描かれています。

肩からは黒のショールをかけています。

エンジェル3 投稿者:トナカイ  投稿日:04月14日(金)07時00分27秒
ロビーや場内にTVカメラは入っていません。

二人は5分ほど話した後、座席に行きました。1階10列45番あたりの
センター真ん中の席で観たようです。

エンジェル2 投稿者:トナカイ  投稿日:04月14日(金)06時54分16秒
開演20分前にシンシアと紀信さんが改札から入場しました。

入ってすぐの柱の隣で関係者3人と立ち話をしています。

ほとんど紀信さんが話していました。おかげでシンシアを5分も
見ていられました。

ロビーにそう人もいないで、遠巻きに十人ほど見ていました。

エンジェル1 投稿者:トナカイ  投稿日:04月14日(金)06時39分53秒
中劇場はチケットのもぎる場所と劇場内のロビーが段差がない
フラット構造です。

もぎり場(改札)の前の右側はTVカメラが5・6台とライトが煌々と
付いていました。

エンジェル・ゲート初日 投稿者:トナカイ  投稿日:04月14日(金)05時55分34秒
エンジェル・ゲート初日、シンシアが篠山さんと来ました。
TVカメラも各放送局が来ています。フジテレビがスポンサーだし、
今日のフジテレビをチェックして下さい。

エンジェル・ゲートネット情報 投稿者:トナカイ  投稿日:04月12日(水)21時38分44秒
京都の友達が教えてくれました。あまたの出演者の三人に
名を連ねています。

出演:南里侑香/篠山輝信/有森也実

三人の写真も載っています。ちょっとビックリですね。

http://mars.eplus.co.jp/ss/kougyou/syosai.asp?kc=015144&ks=01

青春プレイバックの記事 投稿者:トナカイ  投稿日:04月12日(水)13時18分26秒
夕刊フジ2006年4月12日号(11日発行、通巻第11212号)25面

“青春プレイバック! あのマドンナの真実”

『南沙織−パスポート持参のアイドル第1号』

 沖縄の本土返還を翌年に控えた1971年6月。沖縄出身の一人の少女がデビューした。

 「その1年前、一枚の写真が送られてきて、見た瞬間、この子だって思いましたね」

 生みの親、育ての親でもあった音楽プロデューサーの酒井政利氏がいう。

 「髪の長い少女で、日に焼けた小麦色で健康的な肌が印象的でした。普通、
こういった子の場合は、笑顔が最優先になるんですけど、彼女の場合は知的な
雰囲気で新しい時代の歌手になるんじゃないかなって思ったんです」

 沙織は、奄美大島生まれの沖縄育ち。クリスチャンで洗礼を受けていて、その時に
授かった名前が「シンシア」(月の女神で蟹座の守護神)だった。16歳、
「パスポート」持参で上京した。

 酒井氏は、日本コロムビア(現コロムビアミュージックエンタテイメント)から
CBS・ソニー(現ソニー・ミュージックエンタテイメント)の第1号ディレクターと
して移ってきた。スタートしたばかりのレコード会社で意欲に燃えていた。それだけに、
彼女のデビューに向けてはあらゆる戦略を練った。

 「アイドルって言葉は、彼女で生まれた。CBS・ソニーにとっても第1弾
アイドルだったんです」

 デビュー曲「17才」は伸びやかな優しいボーカルで、歌謡曲ファンを虜にした。
酒井氏の狙い通り発売と同時に大ヒット。その年の「紅白歌合戦」にも出場。

 「小柳ルミ子、天地真理と並んで70年代前半の“新三人娘”で、中でも沙織の
人気は圧倒的で、ブロマイドも爆発的に売れ、確か71、72年の2年連続で
年間売り上げ第1位でした」(当時を知る芸能週刊誌の編集担当者)

 シングルも「17才」以降、「潮風のメロディ」「ともだち」「哀愁のページ」
「傷つく世代」「色づく街」と、出す曲がいずれも大ヒット、75年の「人恋しくて」
では「日本レコード大賞歌唱賞」を受賞した。吉田拓郎がかまやつひろしと歌った
「シンシア」は、彼女に捧げた作品だ。

 上智大に入学し、「学業に専念したい」という理由から78年に引退したが、
翌79年に写真家の篠山紀信氏と電撃結婚をした。沙織24歳、篠山氏38歳だった。

 篠山氏はデビュー以来、レコードジャケットを撮り続け、「ずっと、尊敬して
いました。随分と年齢が離れていますが、少年のような気持ちを持ち続けている
ところに引かれました」と沙織。一方の篠山氏は「娘と女房を同時にもらった
ような感じ」と照れていた。

 91年に「NHK紅白歌合戦」に復帰後、限定的ながら作品を出し続けたが、
「基本的には家庭優先の活動」(当時のディレクター、小山田義根氏)で、
「在宅歌手」という言葉まで生まれた。

 3月22日、東京・紀尾井町のホテルニューオータニで行われた酒井氏の
文化庁長官表彰の受賞記念パーティで、久しぶりにマスコミの前に顔を出した。
歌手時代を「誰よりも素敵な青春のページを残すことができた」と振り返った。

 (芸能ジャーナリスト 渡邊裕二)

 (トナカイ記述:記事には71年のレコード大賞新人賞受賞(かな)の時の
白黒写真が一葉載っています。この青春プレイバックは連載記事で、毎回一人の
アイドルの半生を書いています。シンシアが載って嬉しいです^Q^)

夕刊フジ・青春プレイバック! 投稿者:KINDO  投稿日:04月11日(火)22時37分9秒
4.11発行の「夕刊フジ」15面にシンシアの記事発見。
題目「あのマドンナの真実」、サブタイトル「パスポート持参のアイドル歌手第一号」
紙面の約3分の1頁を使って、71年レコード大賞新人賞で歌っている写真付きで記事が
掲載される。
記事内容/当時、酒井政利氏が「1枚のシンシアの写真を見た瞬間、この子だって
思った」こと、さらに「彼女は知的な雰囲気で、新しい時代の歌手になるんじゃないかって
思った」ことを綴られている。
酒井氏は日本コロムビアからCBS・ソニーの第一号ディレクターとして迎えられ、
創立間もないレコード会社で意欲的に活動していて、それだけに彼女のデビューに
向けてあらゆる戦略を練ったと記されている。
「アイドルっていう言葉は彼女で生まれた。CBS・ソニーにとっても第一弾アイドル
だったんです」と酒井氏談。
ブロマイドは、71、72年連続で売上げ第一位だったと記憶していると、当時を知る
芸能誌編集者の弁や、数々のヒット曲などを紹介している。
その他には、引退後のことや結婚当時のこと、NHK紅白復帰と限定的に作品を出した
ことや、先日、行われた酒井氏のパーティーに出席した模様を記す内容を掲載。
■この記事で、目新しい発見はありませんでしたが、TVの芸能ニュースでこの記事が
取り上げられたという情報も聞いています。サオリストにとってのゴールデン週間の最中、
「南沙織」の文字が見られることは幸せと言えるのではないでしょうか。

 以上報告おわり!

花見楽しかったです。 投稿者:Bello  投稿日:04月11日(火)22時09分41秒
トナカイさん、キンドーさん、花見の幹事ありがとうございました。
去年は、大勢で楽しかったけど、今年は、皆さんの話をゆっくり聞くことが
出来て非常に楽しかったです。

明日は、Angel gateのゲネプロ、そしてあさってはいよいよ初日です。
楽しみにしています。 新聞にも広告が載ってました。
Ticketはローソンとかのコンビニでも購入できるようになってました。
当日でも買えそうですよ。

麻丘めぐみさんの週刊お宝TV 投稿者:ハーモニー  投稿日:04月10日(月)23時17分8秒
私も、「週刊お宝TV」見ました。久しぶりに、充実感のある、いい番組でした。
週末の夜、古き良き時代に招待してくれる心がなごむ番組でした。
麻丘めぐみさんがしっとりと落ち着いた感じで話かける姿がとっても癒されます。
久々にいい番組を発見したという喜びです。
私の好きだった「柔道一直線」も近々放送されるそうで今から楽しみです。

花見しました。 投稿者:トナカイ  投稿日:04月10日(月)01時00分36秒
 17会恒例の花見をしました。上野公園の科学博物館近くの桜の木の下での
花見でした。

 今回は、8名の花見でした。Niさん、Naさん、Siさん、キンドーさん、
Yaさん、Toさん、私、Onさんです。

 午前11時半から午後4時まで、少し風がありましたが、晴天で暖かく
いい花見日和でした。3月末に満開になりましたが、寒い日が続き、明け方など
5度ほどの気温が続いたので、花は半分ほど残っていて、上野公園内も大変な
人出でした。

 怒濤の一週間の始まりで、話も盛り上がりました。参加していただいた方、
ありがとうございました。

麻丘めぐみさんの週刊お宝TV 投稿者:トナカイ  投稿日:04月08日(土)23時41分2秒
 金曜日午後7時半からBS−2で始まった「週刊お宝TV」第1回見ました。
第1回という事で、麻丘めぐみさんがアイドルだったという紹介があり、
「私の彼は左きき」を歌っている映像が流れていました。

 番組はゲストのタケカワユキヒデが見たかった番組「夢であいましょう」の
映像が10分ほど流れていました。全番組生放送で、よく残っていたものです。

 この番組が当たったので、日本テレビ(かな)が「シャボン玉ホリデー」を
始めたそうです。

 麻丘めぐみさんも変わりませんね。司会の進行もうまいです。

「欽どこ」DVD情報1 投稿者:トナカイ  投稿日:04月08日(土)20時52分9秒
 5日に発売された「欽ちゃんのどこまでやるの!」のDVD買いました
(発売情報は3/15に投稿済みです)。以下一部敬称略です。

 私も今回初めて知ったのですが、欽どこは、萩本一家の成長記録でもあったん
ですね。萩本欽一と真野順子夫婦に長男、三つ子の女の子が産まれて、子供が
成長していくという話でもあったんです。

 長男は見栄晴。三つ子が高部知子、倉沢淳美、高橋真美で、のちに「わらべ」の
名で「めだかの兄弟」歌を歌っています。

 DVDは3枚組で、放送された年を追って編集されています。
第1巻が1976年10月から78年、第2巻が1978年から81年。
第3巻が82年からから86年9月までと、番組の初回から最終回までの
10年を編集しています。

 一枚のDVDに、15くらいのコントが入っています。半分くらいがゲストが
訪ねてくる設定です。欽ちゃんと真野さんがお茶の間にいると、ゲストが
訪ねてくるという話になっています。

「欽どこ」DVD情報2 投稿者:トナカイ  投稿日:04月08日(土)20時50分40秒
 シンシアが登場するのは一回で、第2巻です。既に見栄晴が生まれて
2ヶ月経ったという設定の萩本家にです。1978年2月15日放送分です。

 舞台は左が茶の間、右にも部屋があり、こちらに見栄晴が寝ているベビー
ベットがあります。ゲストは茶の間の左端のドアをノックして入ってきます。

 季節が冬なので茶の間の真ん中にこたつがあります。ノックして真野さんが
ドアを開けると、シンシアが入ってきます。

 シンシアは左で分けたセミロングの髪で、コートに膝下のロングドレス姿
です。めがねをかけていて、ハンドバックを肩にかけ、おみやげのケーキの
箱を持っています。

 コートは薄い水色で、ドレスは紺色に近い水色です。

「欽どこ」DVD情報3 投稿者:トナカイ  投稿日:04月08日(土)20時48分55秒
 シンシアは真野さんのいとこという事になっていて、「南沙織の妹で南羽織です」と
欽ちゃんに言っています。コントは大きく三つに分かれています。

 最初は、こたつに入っておみやげを欽ちゃんに渡す場面。「つまらない物
ですが」と欽ちゃんに渡して、欽ちゃんが辞退するな感じのコント。ようやく
受け取ったあと、シンシアは真ん中に座っている真野さんと沖縄の家族の事を
話しています。

 右側の欽ちゃんは二人が話している時に、箱の中身は何かなと片手で揺すって
います。しばらく揺すった後にシンシアが「何しているんですか?」と突っ込みます。

 シンシアがここで中身をケーキと言って、欽ちゃんが包装紙を取って中を
見るとぐちゃぐちゃになっている落ちです。

 二つ目のコントは立ち話です。三人がこたつから出て立ちます。赤ちゃんを
見てと欽ちゃんが言って、シンシアが見ますが、この時の会話が爆笑です。

 欽ちゃんがシンシアの言葉じりをとらえて、突っ込むような感じで会話が進みます。

 三つ目がシンシアが赤ちゃんを見たリアクションです。ベビーベットに
寝ている赤ちゃんを見て−人形の赤ちゃんは画面に映りません−シンシアは
ビックリ。「こんなの赤ちゃんじゃないよ。しわしわじゃない」と遠慮なく
見た感想を言っています。シンシアはそのまま入ってきたドアから出ていきます。

「欽どこ」DVD情報4 投稿者:トナカイ  投稿日:04月08日(土)20時47分31秒
 ゲストが出てきた後は、ゲストのコメントが画面下にテロップで
流れます。シンシアのテロップは次の通りです。

 「私、南沙織、今夜はふだん着で遊びにきたの。23才にもなったし、
欽ちゃんと結婚話しでもしたいなあ・・・」

 手書きでかなり下手は字で、シンシアが書いたかもしれません。

 シンシアのキャラクターとして、常識に欠ける帰国子女な感じです。
シンシアは知的な雰囲気があって美しいです。シンシアの回のコントは
3分45秒です。画面は鮮明です。このDVDは買いです。

「欽どこ」DVD情報5 投稿者:トナカイ  投稿日:04月08日(土)20時43分23秒
 こんな感じのシンシアです。

尋ね人 投稿者:はら  投稿日:04月08日(土)20時32分3秒
いよいよ講演会は来週ですね。
ところで、実はずっと気になっていたことがあるのですが・・・・。
それは、かなり以前にあちらBBS(Cynthiaのオフィシャル・ホームページ)で
『夜霧の街』のポスターを探していた方がおりました。
捜してみたところ、やはり持っておりました。
私のはソニーがレコード店の販売促進用に作成した大判で、その方が欲し
がっているポスターかどうかは断定できませんが、シングルジャケットと
同じ写真(アングル・表情は若干異なります)です。
お互いの連絡や郵送等がめんどうと思い、そのままにしていましたが、
講演会へ参加するのであれば、ご連絡いただければ、ポスターをお渡しした
いと思います。
もともと売買する気などありませんでした(同じCynthiaのファンとして、
この気持ちはご理解して頂けると思います)ので、お譲りするだけです。
あちらのBBSでは、個人間の連絡等は禁止されておりますので、申し訳ないの
ですが、こちらにお邪魔させていただきました。
ご迷惑の程 お詫び致します。尚、ほかの方の偽善申請は、ご遠慮の程
お願い致します。

花見の集合時間 投稿者:トナカイ  投稿日:04月08日(土)19時19分39秒
 明日は晴れそうで、絶好の花見日和のようです。午前11時に
JR上野駅上野公園口の東京文化会館前に集合とします。飛び入り歓迎です。

ありがとうございます 投稿者:betti  投稿日:04月05日(水)22時15分22秒
いろいろな情報ありがとうございます。
ともかく12時過ぎに東京駅へ着けば何とかなるのですね。
路線は分かっていても、時間がどれだけかかるか分かりませんでしたので。
本当にありがとうございました。

去年東京に行ったのですが、風景がすっかり変わっていて、わけ分かりません(苦笑)。

今週末はお花見ですね。盛会をお祈りしております。

失礼しました 投稿者:もりころ  投稿日:04月05日(水)20時40分51秒
チケットの引き換え券、整理券のようなニュアンスで書くつもりだった
のですが、、。
もともとこの講座に、チケット、引き換え券、整理券のようなものは、
存在しないと思っていたので、チケット写真がアップされたのを見て、
取り乱してしまいました。非常識な質問をしてしまい、申し訳御座いません。
説明文、地図、有り難う御座います。なんとか行ってみます。

済みません。訂正です 投稿者:deco  投稿日:04月05日(水)09時42分11秒
昨日、「地下鉄(東京メトロ)丸ノ内線・東京駅から池袋行きに乗って」と
書き込みましたが、国会議事堂前駅で乗り換える場合は、新宿、荻窪方面行きに
乗車してください。池袋行は反対方向でした。本当に粗忽者です。すみません。
因みに、東京駅から3駅で国会議事堂前駅ですが、手前の霞ヶ関駅でも千代田線に
乗り換えられますし、間違えて池袋方面に乗ってしまっても、次の大手町駅で
千代田線に乗り換えられます。

代々木上原駅からの行き方 投稿者:Bello  投稿日:04月05日(水)08時01分31秒
千代田線(地下鉄)ですが、代々木上原駅は、実際は地上2階か3階
くらいの高さです。ホームに着いたら、下って行きます。 改札口は一つ
だけです。改札口をでたら、右(切符の自動販売機)側の階段を再び下って
行きます。

左にマクドナルドと、右に東京三菱UFJ銀行が見えます。銀行の一歩手前の
南口1の出口(右側)へ、出てください。車が一台通れるくらいの細い道が
あります。短い横断歩道を渡って、小さな本屋さんの方へ行って下さい。

それから、また右側(新宿とは逆方向)へ、線路に沿って歩いていきます。
ちょうどホームが終わる下に、代々木上原駅という白地に黒い文字で
看板が出ています。その行き止まりまで歩いたら、角にFire King Cafeがあり、
そこを左に曲がります。オリジン弁当があります。(左に曲がった時点で、
大きな道路ー井の頭通りが見えます)

****行き止まりになる間にいくつか上の方へ行ける道が何本かあるのですが、
横断歩道がなく、井の頭通りを渡れないので、最後まで行った方がいいと
思います。忠告を無視した友人は動悸・息切れが激しく、かなり厳しかった
そうです。そうすると、15分くらいかかってしまうかも知れません。*****

大きなとおり(横断歩道)の所にでたら、道路を横切ったところの左の方角に
ケヤキホールの白い建物が見えます。(3月12日に、掲示板に写真をUpして
いますので参照してください)

横断歩道を渡っても、ケヤキホールの白い建物が入り口ではなくて、その
ちょっと先、JASRACとケヤキホールの建物の奥まったところが入り口となります。

切符売り場の窓口が、外から並ぶようにあるのですが、講演会の切符売り場は
もしかすると、中の受付の方になるかもしれません。

もし京王線で来られる方は、笹塚駅から、古賀ミュージアム前までバスが
出ています。渋谷駅からもこのバスが出ています。

帰りに、新国立劇場でAngel gateを見たい人は、初台まで歩くことも出来ますが、
30分ほどかかると思います。

チラシや切符の裏にある地図は初めての人には分かりにくいので、下記の地図が
一番良いと思います。

マクドナルドの前は、待ち合わせの場所になっています。イスラム教徒の方達が
いたら、モスクへの行き方を聞いたら、井の頭通りの横断歩道を渡った所までは
同じですので、参考になると思います。

15日講座のチケット 投稿者:トナカイ  投稿日:04月05日(水)05時33分33秒
 質問いただいた方ありがとうございます。ただ、我々もいい年ですから
常識で物を考えたいです。

 お金を払っていないのにチケットが送られてくる事はないと思いますよ。
普通なら指定口座にお金を振り込んで、それでチケットが送られてきます。
古賀博物館では、相手(=我々)を信じて、予約だけでチケットを取って
おいてくれるのです。予約した人にはわざわざチラシを送ってくれているし、
すごく親切です。

 会場までの交通経路は、3月15日に私が投稿しています。それにネット
上に交通経路を調べるツールも沢山あります。

 チケットで古賀博物館の施設見学も出来ます。30分ほどで観れますので、
遅くとも13時までには博物館前に着くようにスケジュール調整する事を
お勧めします。

はじめまして 投稿者:deco  投稿日:04月04日(火)23時07分30秒
初めて書き込みさせていただきます。
15日には講座に参加します。皆さんの顔も存じませんが、お話しする機会
などがありましたら、宜しくお願いします。
私もチケットは当日受付で受け取るつもりです。パンフレットもお送り
いただいていることですし、間違いはないでしょう。粗忽な私は、チケットを
忘れてくることもないので却って気が楽です。
bettiさんの東京駅からの連絡の件ですが、東京駅からJR中央線で新宿駅
乗り換え小田急線代々木上原駅下車と言うルートもありますが、時間も
同じくらいで値段も安い地下鉄(東京メトロ)丸ノ内線・東京駅から
池袋行きに乗って、国会議事堂眼絵駅で千代田線・代々木上原行きに
乗って頂くのが一番かと思います。
12時50分くらいに丸ノ内線に乗れば13時15分くらいには代々木上原駅に
着きます。東京駅では丸の内口(皇居方面)へ出てください。

そのはず 投稿者:betti  投稿日:04月04日(火)20時55分8秒
僕も「もりころ」さんと同じですが、申し込みのとき同じことを
言われました。信用するしかありませんね。しかし、会場へは東京駅から
如何すれば、ということと、何分ぐらいかかるんですかね。それによって、
出発の時間も決まりますから。誰か教えてください。

おしえてください 投稿者:もりころ  投稿日:04月04日(火)14時55分25秒
音楽口座を電話で予約したのですが、「当日、代金と、会場で住所氏名を
言えば(記入?)入場できます」といわれたのですが、チケットの現物は、
送られてきません。当方、地方なのでチケットを事前に取りにいくことが
できないのですが、チケット無しで大丈夫なのでしょうか。
他の地方の方々も、チケットは、無しで行かれるのでしょうか。

チケットと注意書き 投稿者:トナカイ  投稿日:04月04日(火)00時40分13秒
4月15日のチケットです。注意書きも書きますと、

○ホール内での録音・ビデオ録画・写真撮影・ストロボの使用は禁止です。
○ホール内では、アラーム時計、携帯電話などの電源は必ず切って下さい。
○飲食物のホール持ち込みはご遠慮下さい。
○お車でのご来館はご遠慮下さい。
○キャンセル及び代金の払い戻しは出来ませんのでご了承下さい。

 花について聞きましたところ、飾るような花はご遠慮下さいとの事でした。
講座後にシンシアに花を贈るのは大丈夫と言われています。17会として
バスケットに入れた花を贈ろうと考えています。

アマゾン 投稿者:五日市のファン  投稿日:04月03日(月)18時19分24秒
アマゾンで「シンシアプレミアム」を、予約すると10パーセント割引されますよ!

プレミアム 投稿者:betti  投稿日:04月02日(日)23時14分4秒
ソニーから直接通販で買えばいいのでは?
http://www.sonymusicshop.jp/smdr/sms/shop/goods/artist_goods.aspx?style=T&artist=83130975
でいけるはずですよ。送料無料ですから楽といえば楽。
しかし、15日は楽しみですね。

麻丘めぐみさんが司会の新番組 投稿者:トナカイ  投稿日:04月02日(日)22時51分58秒
 今週から麻丘めぐみさんが司会する番組が始まります。

<新番組> 週刊お宝TV
【司会】麻丘めぐみ、高山哲哉
 BS-2毎週金曜日 午後7・30〜8・00

 4月7日(金)第1回放送「夢であいましょう」(1961−1966・NHK)

 今も記憶に残る伝説の番組を現代によみがえらせ、テレビのすばらしさを
再考する「週刊お宝TV」。ゲスト著名人の記憶に残る名番組を一つ取り上げ、
さまざまなコーナーを通して、その番組の魅力、テレビ史における意味、
現代に与えた影響などをひもといてゆく。「テレビっ子」と呼ばれ最も
テレビに影響を受けた戦後生まれ世代がよく見た、1980年以前のNHKおよび
民放の番組を取り上げる。

 タケカワのお宝番組「夢であいましょう」は毎週土曜夜10時台に放送
されていた。寝る準備を済ませ布団で横になり、母や二人の兄と一緒に
見ていた。タケカワの人生に影響を与えたのが、永六輔作詞・中村八大
作曲による「今月の歌」のコーナー。「この番組のために作った〜」と
いう紹介に触発され、小4で自ら作曲を始めたのだ。名曲「上を向いて
歩こう」は1961年の「10月の歌」だったが、評判があまりに良かったため、
そのまま「11月の歌」にもなった。2か月続いた唯一の例だった。

 [1961年の出来事]
 ベルリンの壁が建設された。ソ連のガガーリン少佐が世界で初めて
有人宇宙飛行に成功した。大鵬・柏戸が横綱に昇進した。歌声酒場ブーム。

 [ゲスト] タケカワユキヒデ (ミュージシャン)

 http://www.nhk.or.jp/bs/

プレミアムの予約期限 投稿者:kumasan  投稿日:04月02日(日)21時35分24秒
今日、東京に用事があったのでついでに新宿の新星堂へ行ったら
チラシの下に手書きで予約締切り9日までと書いてありました。
大手のショップなら多少は期限を過ぎても受け付けるかもしれません。

ソニーミュージックのHP 投稿者:トナカイ  投稿日:04月02日(日)19時56分27秒
 会員の方から情報をいただきました。ソニーミュージックに
「シンシア・プレミアム」の項目があります。

 http://www.sonymusic.co.jp/Music/Arch/SR/SaoriMinami/

 最近のスポーツ新聞は大部分チェックしていますが、残念ながら
シンシア・プレミアム関係の記事は全くありません。締め切りは
4月5日ですが、延期にならないんでしょうか。

音楽講座残りわずかです 投稿者:トナカイ  投稿日:04月02日(日)12時55分48秒
 古賀政男音楽博物館に行って、チケットをもらってきました。
17枚予約していて、番号順にチケットが発行されます。下の投稿の
Belloさんの次の番号からで18番までのチケットでした。
念願の17番ゲットです(^o^)。

 定員220名のホールで、残り15枚ほどのようです。
まだの方はお急ぎ下さい。

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