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Cynthia Street 2006年08月の伝言板

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福山さん? 投稿者:betti  投稿日:08月30日(水)12時39分33秒
トナカイさんってギョーカイ人だったのですね(笑)。すごい。
福山なら…、「遠くへ」が好きです。ロッテのCMのやつ。
なんか詩のイメージとして「魚たちはどこへ」を想い
うかべます。「がむしゃらに歌い続けた街のライブハウス。
ちっぽけなスポット浴びて…」のところが。

『昭和歌謡大全集』第27弾 投稿者:トナカイ  投稿日:08月29日(火)22時15分55秒
 テレビ東京で28日(月)の19時から2時間番組がありました。
『昭和歌謡大全集』第27弾でした。

 始まってから20分後くらいから15分ほどのコーナーで、
麻丘めぐみさんらが出ました。横一列に下手(向かって左)
から次のように並んでいます。

 あべ静江、三善英史、麻丘めぐみ、尾崎紀世彦、うつみ
宮土理(司会)

 皆さん、普通の服装でいて、当時の話をしています。
全員が日本歌謡大賞の受賞者という事で、その思い出話
です。テレビ東京(東京12チャンネル)のスタジオに
深夜集まって話、70年代前半、歌番組がどのチャンネル
でもあり、四人は毎日のように顔を合わせていたなどの話。
毎日歌が流れ、歌っていたから、今でも皆の心に残って
いる、というような話がありました。

 当時の映像が流れます。1971年の大賞受賞の「また逢う
日まで」の映像がほぼノーカットで流れました。

 「雨」は72年の映像と過去のスタジオの歌と流れます。
「わたしの彼は左きき」は73年の映像がノーカットで
流れました。同年の「コーヒーショップで」は当時の
映像と2000年の日本歌手協会歌謡祭の映像が流れました。

 麻丘さん、あべさんとも今もおきれいでステキでした。

 (何かだんだん、麻丘めぐみファンクラブのHP
みたいになってきました。他意はありません)

麻丘めぐみ−思い出ギッシリ40年−連載7(日刊ゲンダイ2006.8.29火) 投稿者:トナカイ  投稿日:08月29日(火)21時41分43秒
“大ファンの福山雅治さんからコンサートに招かれて・・・”

 福山雅治さんは私にとって“特別”な存在です。長くこの
世界にいてステキな人はたくさん見ているけど、みんな
「仕事仲間」と感じてたから、「憧れ」の感情を持つことは
ほとんどありませんでした。でも福山さんだけは別。純粋に
私、「ファン」なんです。

 もともと福山さんの音楽が好きで、ずっと「気になる人」
でした。中には、共通の友人で「今度、福山さんと一緒に
飲もうよ」と言ってくださる人もいましたが、ずっと
「一ファン」でいたい気持ちがあって、行きませんでした。
でも、一度だけ、ラジオでポロッと漏らしたことがあるんです。

 数日後に福山さんの事務所からウチの事務所にお電話を
頂きました。「今度、コンサートにぜひお越し下さい」
って。最初はスタッフがギャグを言っているのかと思い
ました。でも、聞いてみると、どうも本当みたい。「え、
会っちゃうワケ? いやいや、それはまずいでしょう」と
思いつつ娘に話したところ、「私も行きたい!」というので、
お邪魔しました。

 当日は、行列に並んでグッズも購入。コンサートでは、
福山さんの歌に合わせて私も口ずさんでいました。それが
全部歌えちゃったから自分でもビックリ! さすが
「ファン」だと実感しました。トークも面白くて、
ますます福山さんのファンになりました。

 それに、福山さんは長崎生まれ、私は大分生まれ。
どこか同じ九州の匂いを感じてしまう。男の人が弱く
なったといわれる今の時代だからこそ、九州男児で
ある福山さんを応援していたいんです。

 以来、コンサートには毎年のように呼んで頂くし
、私もそのたびにお手紙で感想をお送りしています。
これからも遠くから応援していたい。そんな「距離感」、
ステキじゃありません?

CMの日SP 投稿者:deco  投稿日:08月29日(火)00時08分1秒
こんばんは。今夜放送のCMの日SPドラマで
故・杉山登志さんを取り上げたドラマがありました。
番組の中盤では、聞き取りにくかったのですが酒場の
シーンのバックに「色づく街」が流れていました。
この番組のスポンサーは資生堂で、登志さんの撮った
資生堂のCMも多く流れています。
今、銀座のHOUSE OF SHISEIDOでは「メーク×モード
ビューティーの時代展」という企画が開かれていて、
1階のスクリーンでは「春の予感」が使われているCMも
流れています。私の好きな犬の散歩バージョンではなく、
カメラで男の人を撮影するバージョンですが、普段の
HOUSE OF SHISEIDOや企業資料館では上映されていない
貴重な映像だと思います。9月8日までと残り少ないの
ですが、お近くについでがある方は如何でしょうか。
月曜休館、無料です。

麻丘めぐみ−思い出ギッシリ40年−連載6(日刊ゲンダイ2006.8.28月) 投稿者:トナカイ  投稿日:08月28日(月)23時29分17秒
“藤村俊二さんが私を「シキバさん」って呼ぶ理由”

 藤村俊二さんが、私を「シバキさん」と呼ぶんです。何の
ことだと思います? 実は「仕切り婆ぁ」。ひどいでしょ。
でも嫌いになれない魅力があるんです、藤村さんって。
 私がそんな風に呼ばれるようになったのは、今から約10年
前。「ブラックコメディー」という舞台でご一緒し、地方
公演も含めると3ヶ月ぐらい毎日顔を合わせてました。
もちろん、以前から面識はありましたが、あんなにベッタリ
だったのはあの時が初めてで、以来、私が「仕切り役」に
なったのです。何を仕切るかって、芝居の後の飲み会。

 藤村さんが無類のお酒好きなのはみなさんご存じです
よね。公演の日の朝からもうお酒の話をしているの。
その仕切り役をどういうわけだが私がやることになっ
ちゃって、朝顔を合わせるなり「シバキさん、きょうは
魚で」とか「きょうはイタリアンで」とこうなんです。

 言われると、私はお店を探して、その日の飲み会を
セッティングしなきゃならない。東京ならともかく、
知らない土地でも適当なお店がないか、朝から電話を
かけまくり、「座敷はあるか」とか「個室を使えるか」
とか、もうマネージャーさん状態。

 飲み会が終わってからの「お会計」も私の担当です。
黙っていると、藤村さん、おカネがなくなるまで払っ
ちゃうから、「はい、割り勘、割り勘」って。「オレは
そんなしみったれたことは嫌いだ。全部オレが出す」
とか言いながら、最後は藤村さんも渋々、頭割りに
応じてくれます。

 それで終わりじゃないの。今度は2次会。散々飲んだ
あとでも「もう一軒」って。「明日早いからもう帰ろう」
って言っても、「オレは飲まないと死ぬんだ!」って
聞かないんです。

 でも、憎めないんですよね。あんな面白い人、見た
ことありません。話題が豊富だし、会話もオシャレ
だから、女の子のいる店に行ってもモテモテなんですよ。

 で、翌日、あんなに酔っぱらっていたのに、次の日の
芝居は誰よりも完璧にこなしちゃうから、さすがです。
だから、また「シバキさん・・・」って言われても
断れないのね。(つづく)

 (毎回、表題の隣に麻丘さんの写真が載っています。
5回目までは白黒でした。今回からカラー写真に
なりました。毎回、話題にした人の写真が一葉載ります。
4回目のエッセイでは、浅田美代子さんでした。
こちらも今日からカラーになっています)

『日刊ゲンダイ』の間違いです。 投稿者:トナカイ  投稿日:08月25日(金)07時26分23秒
麻丘さんのエッセイ、掲載紙は『日刊ゲンダイ』です。訂正します。

連載ありがとうございます 投稿者:betti  投稿日:08月24日(木)23時18分46秒
素晴らしい!トナカイさん、連載お疲れ様です。
麻丘めぐみ・浅田美代子・小川順子さんらとの引退後の
関係は何となく週刊誌情報で記憶があります。小川順子は、
確か医者だったような…。

麻丘めぐみって、その当時、初めてマイクを左手に
持って歌ったんですよね。

麻丘めぐみ−思い出ギッシリ40年−連載1(日刊ゲンダイ2006.8.21月) 投稿者:トナカイ  投稿日:08月24日(木)22時32分43秒
 『日刊ゲンダイ』に今週の月曜日から麻丘めぐみさんが
エッセイを書いています。おそらく金曜までの5回連載です。
読みやすいように初回から順に要旨を投稿します。今日発売の
4回目にシンシアの話が出てきます。

 麻丘めぐみ−思い出ギッシリ40年−連載1(日刊ゲンダイ2006.8.21月)

“本格的に歌のレッスンに励んだ姉が売れず私が・・・”

 一時期、芸能活動をお休みしていた頃を除くと、今年は
芸能活動40周年の記念の年。こんなに長くこの世界に
いられるとは自分でも不思議なくらいですが、今日の
私があるのは姉の存在抜きには語れません。3歳の子役
デビューも、16歳での歌手デビューも、いつも私の
前には姉が歩いていました。「花里あけみ」とか「藤井
明美」という芸名で歌っていたので、覚えていらっしゃる
方もいるかと思います。

 まず子役。4歳年上の姉はとても積極的な女の子で、
幼稚園の時、自分から児童劇団に入ってしまったのです。
私が物心ついた頃はもうモデルのお仕事や舞台のお芝居に
出ていて、私も母に連れられてしょっちゅう仕事場に
お邪魔していた。そんなとき、あるスタッフの方が私を
「チビちゃんも出てみたら」と誘ってくださり、3歳で
梅田コマで初舞台を踏むことになったのです。幼稚園や
小学校では私だけ早退が多かったり、「日焼けしちゃ
ダメ」と言われていたりで、他の子とは違うなとは
感じていましたが、当時は気にもしませんでした。

 歌手デビューもまったく似たような状況です。私が
10歳の時、姉は遠藤 実先生のところに内弟子に
入り、先に歌を歌っていました。そのキャンペーン
などに私も母と一緒についていくうち、やっぱり
レコード会社の方から「妹さんも歌ってみないか」と
誘われたのです。もっとも、子役デビューと違って、
このときは悩みました。というのも、姉の苦労を
間近で見たいたからです。

 最初は五月みどりさんのような日本調、次は
カンツォーネ風な曲、最後はフォークソングみたいな
歌をレコードで出していましたが、なかなかヒットに
結びつかず、毎日家に帰ってきては泣いていた。
そんな姉の様子を私も見ていましたから、「歌手の世界
って大変だな」と思っていたのです。

 でも、姉と同じレコード会社からのお誘いでしたので、
お引き受けしました。そうしてできた「芽ばえ」が、
いきなり売れちゃった。当時の姉は複雑な心境だったと
思います。

麻丘めぐみ−思い出ギッシリ40年−連載2(日刊ゲンダイ2006.8.22火)  投稿者:トナカイ  投稿日:08月24日(木)22時30分14秒
“プライベートでもまぶしかった同い年「新ご三家」たち”

 郷ひろみ、野口五郎、西城秀樹さんたちいわゆる「新ご三家」
と私は同い年、特に西城クンとは明大付属中野高校のクラス
メートです。でも、当時はしゃべったことはほとんどありません
でした。

 もうみなさんご存じでしょうが、その頃の芸能プロダクション
はタレント管理が厳しくて、歌番組で隣に座った男の人と
ちょっと挨拶しただけでも「何を話していた?」とチェック
された。だから西城クンたちとも「おはようございます」と
「お疲れさま」しか言葉を交わしたことがないんです。

 もっとも、仮に管理が緩かったとしても、気軽に声を
かけられたかどうか、ちょっと自信がありません。という
のも、当時の私は、歌手として西城クンたちとどこか違うと
感じていたからです。彼らは本気で歌手になろうと芸能界に
入ってきた人たち。私は姉の件もあって、気が付いたら歌手
になってたというタイプ。

 たとえば、コンサートにしても、彼らはステージでフラフラ
になるまで歌って、緞帳(どんちょう)が下りると失神して
しまうようなことが度々でした。「みんな頑張っているのに、
私、ダメだよな」なんて落ち込んでいた。

 だからスタジオで会うにしても、学校で顔を合わせるに
しても、どこかまぶしく感じていたんです。いきなり2人に
なんかなったら、きっとしゃべれなかったんじゃないかなぁ。

 「管理」といえば、食事も忘れられません。当時、おそらく
日本全国ほとんどの場所に行ったでしょうが、実はどこにも
思い出がないんです。毎日、空港と会館の往復で、食事は
ホテルのルームサービスだったから。それもたいていカレー
かピラフでした。それが今でも続いているんです。いや、
今は好きな場所に行っていもいいんですよ。

 でも、たまにルームサービスで取る時があるじゃない
ですか。そういう時は、どうしても頼んじゃう。「ピラフ」
って。メニューを見ると、もう目がそこに行っちゃうの。
先日、野口五郎クンと話していたら、同じこと言いました。
「悲しいよね」って大笑いしちゃった。

麻丘めぐみ−思い出ギッシリ40年−連載3(日刊ゲンダイ2006.8.23水) 投稿者:トナカイ  投稿日:08月24日(木)22時28分17秒
“今でも「あの左ききの・・・」っていわれる歌の強さ”

 こう言うと皆さん意外に思われるかもしれませんが、
私の芸能活動40年のうち、「歌手」だった時期はほんの
わずかなんですよ。16歳から21歳までのたった5年だけ。
それでもいまだに「あの『左きき』の・・・」と言われる
たびに、改めて歌の「強さ」を感じます。「わたしの彼は
左きき」は作詞・千家和也さん、作曲・筒美京平さん。実は
デビュー曲「芽ばえ」に始まって、私の歌のほとんどは、
このおふたりに作っていただきました。

 人選してくれたのは当時、ビクターのディレクターで、
以前はヴィレッジ・シンガーズでベースを担当して
いらっしゃった笹井一臣さん。笹井さんがイメージの
中で「麻丘めぐみ」をつくってくれて「この人に作詞
してもらうから」と紹介されたのが千家さんでした。
すでに「終着駅」などのヒット曲を出してらっしゃい
ましたが、私は初対面。気さくな方で、15歳の私から
見ると、なんでもお話してくれる面白いオジサンでした。

 対照的に筒美先生はシャイな方。どういうわけか、
筒美さんのことは前から知っていて、「この人に書いて
もらえるなんて、凄いことになったな」と思ったのを
覚えています。実は私のデビューは日本ビクターから
音楽部門の「ビクター音楽産業」が独立した直後のこと。

当時のレコード業界には「演歌のビクター、ポップスの
ソニー」というイメージがありましたが、そんな中で、
私が「ビクターのアイドル第1号」ということで、
スタッフ全員、一生懸命やっていただきました。

 筒美さんには「キミの声は泣いてていい」なんて
いう表現で誉められました。でも、あまりお話は
できなかったなぁ。筒美さんは無口な方だし、私も
あんまり明るい子じゃなかったし・・・。むしろ
「怖い先生」という印象が強かったですね。

 ただ、これだけは自慢。おふたりから、歌い方に
ついて「ああしろ、こうしろ」と注意されたことは
一度もないんですよ。いつも「好きに歌ってくれれば
いいから」って。今から思えば、きっと筒美さんが、
私の声に合わせてメロディーラインをつくって
くれてたっていうことでしょうけど・・・。

麻丘めぐみ−思い出ギッシリ40年−連載4(日刊ゲンダイ2006.8.24木)  投稿者:トナカイ  投稿日:08月24日(木)22時26分33秒
“ひと目見て「私と同じ」と直感した浅田美代子さん”

 私より1年遅れてデビューした浅田美代子さんとは、
当時からの「大親友」です。楽屋で一目見た時から「あっ、
私と同じ」と直感しました。周囲はみんな歌手になりたくて
芸能界に入ってきた人ばかりで、スターになるんだという
闘志がみなぎっていましたが、私と美代ちゃんはそういう
のが苦手で、いつも楽屋で浮いていたんです。南沙織
ちゃんも同じタイプで、すぐに「仲良し3人組」に
なっちゃいました。

 もっとも、会うのは大変。先日、アイドル管理の話を
しましたが、「しゃべっちゃダメ」というのは何も男の
人ばかりじゃないんです。女の子同士も勝手にはしゃべれ
ませんでした。

 当時は意味が分からなかったのですが、お給料とか、
条件面の話を互いにされるのが困るということだったん
でしょうね。私たちはそんなことはちっとも興味が
なくて、ただ「遊びに行きたいね」とか「すてきな服が
着たいね」なんてたわいもないお話をしたいだけだった
のに・・・。

 だから、会うときはいつもコソコソしていました。一度
なんて、夜中、麻布にあった美代ちゃんの実家に窓から
入ったこともあったぐらいです。会うといつも「今の生活は
何か違うよね」って話。だからみんな結婚も早かった。私、
美代ちゃん、沙織ちゃんの順でパタパタッて結婚・引退
しました。

 そこからはもうタガが外れたようにベッタリ。24時間を
自由に使えるのがうれしくて、毎日のように会ってました。
ちょうど小川順子ちゃんも同じ時期に結婚したので、
美代ちゃんの家の近所にあったスーパーに4人で集まって
何時間もお買い物。

 幸か不幸か、旦那さんがみんな忙しい人で、ほとんど
ご自宅にはいらっしゃらなかったので、夕食も「きょうは
私んち」「明日は沙織ちゃんち」と代わりばんこに
集まってましたね。あの頃が今までで一番充実してた
ような気がします。

 美代ちゃんとは今でも時々お食事をしたり、お酒を
飲んだりします。そういう時は、いつも当時の思い出話に
なっちゃいますね。

麻丘めぐみ−思い出ギッシリ40年−連載5(日刊ゲンダイ2006.8.25金) 投稿者:トナカイ  投稿日:08月24日(木)22時25分22秒
“私にジャズの魅力を教えてくれた北村英治さん”

 私に音楽の本当の楽しさを教えてくれたのは、ジャズ
のクラリネット奏者の北村英治さんです。これまで
お話したように、なんとなく「歌手」になっちゃった
私は、アイドル時代、音楽を「仕事」としかとらえて
いませんでした。27歳で女優としてカムバックして
からも音楽へのトラウマは消えず、たまに開くディナー
ショーも重荷に感じている部分があったんですね。

 そんな時、たまたま見にいったのが北村さんのライブ。
「僕は世界一幸せな男だ」とおっしゃっているのを聞いて、
うらやましくなり、何度か見にいくうちに北村さんとも
お話するようになりました。そんなある日、北村さんが
「めぐちゃん、歌えるんだから、ジャズやってみなよ」と
おっしゃるんです。私が

 「いえ、そんな・・・」と躊躇していると、「一度、
本場のジャズ聴いたほうがいいよ。今度、アメリカに
行くから一緒に行こう」と半ば強引。向こうではボイス
トレーナーの方に紹介してもらって、歌をやってみたん
ですが、最初はやっぱりうまく歌えませんでした。
「私、今まで何をやってたんだろう」と猛烈におちこみ
ましたが、あることに気が付いたんです。

 考えてみれば今までちゃんと音楽と向き合ったことが
なかった。それなのに、「好き」とか「嫌い」とかいう
のはちょっと違うんじゃないか。すぐにはできないかも
しれないけど、私が60歳ぐらいになった時、お客さんに
「麻丘のジャズもいいじゃん」って思ってもらえたら
楽しいかなって。北村さんにそれをお話したら、「それ
カッコいいよ。やってみなよ」と励ましてくれました。

 日本に戻ってからは、まず英語の勉強。中学の教科書を
ひっぱり出して、英語の先生に正確な発音を教えてもらい、
徐々にレパートリーも増やしていきました。その間も
北村さんには「どんどん恥をかかなきゃダメ」とか
「『麻丘めぐみ』の世界にジャズを引っ張り出して
くれればいい」と励まされ、これまですでに2度の
ジャズライブも開けるまでになったんですよ。(つづく)

田山雅充さんのライブ ! 投稿者:がんちゃん  投稿日:08月19日(土)13時59分29秒
ご無沙汰してます。がんちゃん でございます。
いつも、十七会メンバーの皆様にはライブご参加賜り、
ありがとうございます。

「人恋しくて」の作曲でおなじみ、“田山雅充”さんが、
10/14(土)東京・曙橋「BACK IN TOWN」でライブを
やります。

自身のヒット曲「春うらら」ほか、シンシアほか沢山の
アイドルに提供した作品も聴けるかも知れませんよ。

詳細は、↓のhttpクリックで、田山雅充公式HPをご覧
下さいませ〜(^^)/

http://www.h3.dion.ne.jp/%7Ebagus_y/

確かに 投稿者:betti  投稿日:08月18日(金)18時59分30秒
プレミアムを買った人間からすれば、不要でしょうね。
でも、雑誌記事とかなんだとかは『絆』である意味十分
なのでは? 売上高は5位かもしれないけど、3,000セット
では商業ベースには…。

先日高校の同窓会があり、ながれでカラオケへ。
「おじさんたちの青春ポップス」で盛り上がりました(苦笑)。

なんと言っても、清水ミチコの「懐かしの明星メドレー」は
棄て難い。シンシアは「純潔」です。

南沙織 スーパー・ベスト 投稿者:TANAK  投稿日:08月18日(金)16時00分39秒
7月21日の発売なんですね。まあ、ひっそりとした
リリースだこと。
http://www.sonymusicshop.jp/detail.asp?goods=DQCL000001112
16曲2000円です。
OTONANOの企画ページ
http://www.110107.com/
で分かるように、団塊の世代向け企画、懐古復古企画、過去の
資産の再活用企画という路線があるように見受けられます。
ただ、単純な疑問として、単に16曲集めてベスト盤を
出しても、団塊の世代には響かないと思うのですが、いかが
でしょうか? 動画、過去の評論、雑誌記事、楽譜、高解像度
写真、壁紙、着メロなどさまざまな角度から収集分析したWeb
アーカイブみたいなCDだったら、魅力的ですよね。音楽CDで
ある必要は無いと思います。そういう、新しい努力が詰まった
商品に仕上げていただきたいものです。OTONANOの企画の一層の
深耕を期待します。

おじさん達の青春ポップス 投稿者:Bello  投稿日:08月18日(金)11時13分29秒
スーパーベストと同じシリーズで。
おばさん達の青春ポップスと言うのも出てます。

南沙織 スーパー・ベスト 投稿者:Bello  投稿日:08月18日(金)11時11分31秒
潮風の香りと明るい太陽のような「17才」、レコード大賞
歌唱賞「人恋しくて」。爽やかな歌声が今でも心に響く
南沙織のヒット・シングルを集めた決定版ベスト。

というCDが発売されていました。

寺山修二記念館 投稿者:Shigeru  投稿日:08月18日(金)00時24分23秒
先日、といってももう少し経ちますが、青森県三沢市に
ある寺山修二記念館に足を運んできました。
ちょうどイベントが催されていて、劇作家で京都精華大学
教授の高取氏が寺山修二さんについていろいろ語って
くれました。(聞き手は元夫人の九條今日子さん)
酒井政利プロデューサーが寺山氏と出会ってなかたら、
もしかしたら酒井さんとCynthiaの出会いも違ったものに
なっていたのかと思うと感慨深いものがあります。

寺山さんは70年代に青春時代を送った者なら少なからず
想い出があるかもしれませんが非常に多彩な才能を
もった人で改めてあの時代の若者に与えたインパクトの
大きさを認識しました。いま、寺山修二奇跡展もやって
ますのでお近くにお越しの機会がありましたらお立ち寄り
ください。
http://shuji-museum.misawasi.com/event.html

昨夜は大文字 投稿者:betti  投稿日:08月17日(木)22時13分59秒
でした。シンシアが言っていたような、町中が明かりを消して
ご先祖さんを送り出す、ってなことは今の社会、無理かなぁ…。
FM7でシンシアがそこのところに感動したとか。

でも、4月15日のシンシアを思い浮かべていました。やっぱ
シンシアは、京都人の僕にとっては、年に一度の大文字で
いて欲しい。

町衆が作るものですからね。

素晴らしい トナカイさん 投稿者:betti  投稿日:08月15日(火)23時25分7秒
Nikonの秋バージョンですよね。これって手に
入らなかった。

フォーリーブスとのミュージカル、あれって、
シンシアが、彼らのファンのバッシングにあって
シンシアが…。

「見上げてごらん夜の星を」 投稿者:トナカイ  投稿日:08月15日(火)22時11分49秒
 8月12日は、日航機が御巣鷹山に墜落した事故から
21年目の日でした。夜のNHKで、あの事故で亡くなった
坂本九さんの曲を紹介していました。「見上げてごらん
夜の星を」の特集で、15分ほどの放送でした。

 あの曲は今も多くの人に愛されていて、何人かの人の
エピソードや北海道の天文台からの中継もありました。
北海道のアマチュア天文愛好家が、自分が発見した
小惑星に「Kyusakamoto」と名付けたとかが放送されました。

 私は、もしかしたらフォーリーブスとシンシアが演じた
ミュージカルの映像が流れるかと見ていましたが、
残念ながらそちらは流れませんでした。

 ただ、定時制高校に通う人の映像が流れて、もともと
この曲は、定時制高校に通う生徒さんをテーマにした曲
だったと知りました。

 私も一回だけシンシアのこのミュージカルを見ています。
ほとんど内容は忘れていましたが、そう言えば定時制高校の
話だったと思い出しました。

『レコード・コレクターズ』2006年9月号 投稿者:u3  投稿日:08月15日(火)12時20分6秒
のP.48(裏表紙からのリイシュー・アルバム・ガイド起算)に
『Cynthia Premium』の紹介があります(3分の2ページ)。

日活ロマンポルノの谷ナオミ『濡れた壷』(1976年3月19日公開)
で、なぜかチラッと「人恋しくて」が流れます。みうらじゅん
監修の『永遠のSM女優 谷ナオミ』(コアマガジン 2004年
10月20日発売)の『濡れた壷』の項に記述されていました。
(冒頭から26分くらいのところ)

・(株)コアマガジン『永遠のSM女優 谷ナオミ』
http://www.coremagazine.co.jp/book/tani.html
・素晴らしき谷ナオミ本!
http://www12.ocn.ne.jp/%7Enacky/tani.html
・CinemaScape−映画批評空間− 『濡れた壷』
http://cinema.intercritique.com/movie.cgi?mid=13599
・日活が運営する“日活ロマンポルノ館”の『濡れた壷』
(注:下記リンクは18禁サイト内のページへの直リンクです)
http://www.nikkatsu-romanporno.com/shousai/h81.html

RE:CD/あの頃に戻ろう・・・ 投稿者:u3  投稿日:08月15日(火)11時04分30秒
ソニー・ミュージックコミュニケーションズの
“プレミアム・ディスク”でしょうね。
http://www.smci.jp/sp/plan/original/index.html
に、われわれもよく知っているブルボンの“J'sポップスの
巨人たち”等の過去の活用例が掲載されています。現在の
SMCIのトップページからはたどれないようですが、過去に
訪れたときのURLをたどってみるとそれらのページは
残っていました。当然ながら(?)、今回のメガネドラッグ
のCDは載っていませんでした。

http://www.smci.jp/sp/

つられて 投稿者:ユウサン  投稿日:08月14日(月)22時59分37秒
 私もつられて買い換えました(笑)ほんとはそろそろ
買い換えようかなと思ってた、使っていたのは茶色の
フレームにごくありふれたレンズ、ボーナス前だったか
出た後だったか忘れましたが、彼女のちょっと斜めに
構えたポスターに引き寄せられるようにして、思い切って
大枚はたいて買い換えました、メタルフレームにそのレンズ
です、レンズは各種のコーティングをしてあって光の加減で
緑色に光るというレンズじゃなかったかな?、そのメガネも
2、3年して仕事中に高所から落下させてレンズは粉微塵
フレームは針金状態、良く見るとめがねのフレームとしか
わからなくなった、ポスターはお願いをしましたが
もらえませんでした。

メガネを軽くしませんか? 投稿者:betti  投稿日:08月14日(月)18時37分1秒
でしたよね。NIKONのCMでのキャッチ。
バックがグリーンで、ちょっと斜に構えたシンシア。
今はどこに行ったことやら…。『絆』のどこかにも載って
いたような…。
個人のめがね商店での葉書宣伝にはバックはスカイ
ブルーの濃い目のやつで正面からでしたよね。
あっちの方が好きだったな。

CD/あの頃に戻ろう・・・ 投稿者:KINDO  投稿日:08月14日(月)16時08分3秒
もうすでに終わってしまった情報ですが、某メガネ店の
35周年キャンペーンで、CDが当たるというのをやって
いました。それは、メガネドラッグ(各店舗)で、NIKONの
レンズを買うと、CD「あの頃に戻ろう」が当たるという
ものでした。
http://www.meganedrug.com/info/info_anokoro.html
実は最近、メガネドラッグでメガネを新調した(決して
老眼鏡ではない!と主張します)のですが、そのCDが
当たってしまいました。知らなかったとは言え無欲だった
のが幸いしたのでしょう。
メガネドラッグが創立35周年を迎えNIKONとコラボで
製作した、非売品CDだそうです。曲目は、17才(南沙織)、
旅の宿(吉田拓郎)、赤い風船(浅田美代子)、恋する
夏の日(天地真理)、木綿のハンカチーフ(太田裕美)、
ハートのエースが出てこない(キャンディーズ)...etc
CD本体は、シンシアファンにはお馴染みのレコード風の
アナログ盤を髣髴するつくりになっているのですが、歌詞
カードや小冊子のたぐいは、残念ながら付属していません
でした。
※NIKONと言えば、シンシアもその昔ニコン・オルマ70で
「サオリかるがる」という台詞でCFにも出ていましたね。
ポスターも幾種類か店舗に張り出されたのを知って、お店に
押し掛け懇願してポスターをもらったりしたことなど、
なつかしい思い出が甦えるきっかけを作ってくれたメガネ
ドラッグさんに感謝いたします。
夏い暑! ひからびないように水分を補ってガンバロウ!(笑)

CANDIES TREASURE 投稿者:Shigeru  投稿日:08月14日(月)00時29分0秒
今日13日の朝日新聞の番組欄(奈良版)にかなり大きく
キャンディーズのDVD4枚組の宣伝が出ていました。
やはり1977年の砂防会館(Disc1) 同じく1977年千葉
市民会館(Disc2) それに1978年芝郵便貯金ホール(Disc3)
と70年代後半のLIVE映像ですね。あとはヒットパレード
(Disc4)ということでTV番組の映像でしょうか?
9月5日予約締め切り、10月25日発売です。これで価格が
¥12600だそうです。これがCynthiaだったら願ったり
かなったりなんですが。
Cynthiaのライブアルバムでいえば郵便貯金ホールの
『SAORI ON STAGE』が1977年ですし、
翌年の『さよならシンシア』の映像なんかも残ってる
んじゃないかと期待が膨らんでしまいます!

フィーバー 投稿者:betti  投稿日:08月13日(日)08時09分22秒
したら、集中できなくなってしまう!!
今のパチンコ業界は何考えているのでしょうかね?
まぁ、聞きたいがために金をつぎ込むと考えているので
しょうか?

17才 投稿者:TANAK  投稿日:08月12日(土)16時21分2秒
パチンコで「17才」が流れるようです。(打った
ことないので、未確認情報ですが)
http://www.maruhon-kogyo.co.jp/
の左下の「アクアポリス2」のロゴをクリックすると
イメージが流れます。声は森高かな?

懐かしい想い出 投稿者:betti  投稿日:08月12日(土)09時38分19秒
シンシアがデビューした71年、僕は10歳。ルミ子が最優秀
新人賞をとったのにムカついていたところ、年始でいろいろな
人と会ったとき、みんなが「南沙織やで!!」とのことで、
自信を持って(笑)、シンシアのファンに…。

ただ、このページは何となく理工系の方が多いような気が
しますが、年代の違いでしょうね。僕らの年代は、「沖縄」
という歴史的背景(?)みたいなものに関心をもったのでは?
それは僕だけかもしれませんが…。ただ、『返還』が
大々的に小学校の授業で取り上げられましたからね。

『二十歳ばなれ』の「《恋愛》素敵な"彼"を夢みて…」
p.163〜が印象的です。

プレミアムのCDの音質 投稿者:御大  投稿日:08月10日(木)17時04分35秒
 すごく良くなっていて驚きました。マスター・サウンド
恐るべし、ですね。特に、初期のアレンジも素直で、録音も
機械で変にいじり回していなかった頃のアルバムの音は、
素晴らしい!個々の楽器の粒立ちもさることながら、シンシア
の歌声が、はつらつとした中にも艶っぽさを感じる程に見事に
収録されていて、本当に感激しました。
 CD選書やOMF等を、横目で見ながらじっと我慢していた
甲斐?がありました。CD選書の頃の音質は、どこか硬くて、
LPに比べてなじめなかった事もありますが…
 私がシンシアに魅せられたのは、「潮風のメロディ」から。
浪人時代の予備校への通学途中、ガソリン・スタンドの
有線放送から流れる歌声を耳にし、一度で囚われてしまった
ものです。何とか、シンシアの歌声を手作りの機械で聴いて
みたい、そんな思いからオーディオにのめり込んでいく
きっかけともなった曲です。
 まだまだ、しばらくはプレミアムと共に、懐かしいあの頃の
想い出にひたる日々が続きそうです。なおさら、今のシンシア
の歌声(新しいアルバム)が聴きたくなりますよね。

今日の豊海海岸 投稿者:トナカイ  投稿日:08月07日(月)22時10分11秒
 「17才」の詞のイメージは、山口県にあります。
防府市富海(とのみ)海岸の砂浜を、有馬三恵子先生が
イメージして作詞をしています。詳しくは、05年11月21日
の投稿を読んで下さい。

 17会会員のTさんは、今年の2月6日にこの海岸を
訪れています。そして今日も行ってきました。真夏の
海岸、天気も快晴で平日ですので人は少ないですが、
静かな海岸だったそうです。来年には、みんなで
行きたいですね。

訂正 投稿者:betti  投稿日:08月06日(日)06時11分11秒
あれは『Saori on Stage』でしたね。
すいません

Shigeruさん 投稿者:betti  投稿日:08月05日(土)21時24分54秒
『Saori on Stage Good-by Cynthia』のLP盤の附録ですね。
まだ部屋には飾っています(苦笑)。

ライブ盤ですか?? 吹っ切れたとき(引退を決めた
とき)のCynthiaが観たいですね。すべてが嫌でやめた
わけじゃないだろうし…。

『南沙織にお別れを・・・』ってそういうことだと思います。

Cynthiaも期待したいですね〜! 投稿者:Shigeru  投稿日:08月05日(土)10時50分18秒
DVDだけで4枚、61曲というのはすごいですね!
よくもそんなにお宝映像が残っていたものですね。
キャンデーズだと70年代後半の映像が中心でしょうかね?
70年代前半の映像はやはり少ないのかな〜?
でもSonyさんも70年代のDVDにも目が向いてきたようだし
期待が高まります。Cynthiaのライブ映像ぜひ見たいです!

キャンディーズ・トレジャー 投稿者:Bello  投稿日:08月04日(金)23時11分41秒
キャンディーズの4枚組DVD Boxが発売されるようです。

『キャンディーズ・トレジャー 』

「キャンディーズ」のお宝映像満載のDVD遂に登場!
「キャンディース」の未公開ライブ映像とTV音楽系番組
出演時の超貴重お宝映像を4枚のDVDに収めた、ファン
待望の企画ついに登場です!長い間封印されていた(?)
貴重すぎる映像の数々が次から次へと飛び出します。
全61曲(予定)というボリュームたっぷりの内容に、さらに
16ページオールカラーブックレット封入という豪華仕様です。

キャンディーズの未公開ライブ映像と、TV放送を中心と
したシングル曲をまとめた映像を4枚のDVDに収録。

シンシアのDVD Boxもでないかなぁと期待を込めて。

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