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Cynthia Street 2006年09月の伝言板

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そんなのが! 投稿者:ユウサン  投稿日:09月30日(土)20時48分17秒
 そんなのがあったの! 私も初めて見ました、ステレオの
シールをはったのがあったなんて、自慢じゃないけど私も
初回盤を買ったと思ってましたが、そんなシールはなかったです。

 すいません、個人的なことです、使ってたデスクトップPC
(HDD)が壊れまして思い切ってニューマシンにしました、
個人的にメールを下さった方、空メールをください。

欧陽菲菲もデビュー35周年  投稿者:トナカイ  投稿日:09月30日(土)11時47分11秒
 先週の金曜日22日に日本テレビの『ザ・ワイド』では
二つのアイドル関係のニュースが流れました。

1.渋谷公会堂
 渋谷公会堂が「C.Cレモンホール」になるという物です。
20年ほど前の外で入場を待つ行列の写真が映りました。5年の
契約なので、また名称が変わるかもしれず、しょっちゅう
名前が変わるのはいかがなものかの意見もあるそうです。

 ストリートミュージシャンの感想が紹介されていて
面白かったです。もし名前が売れて渋谷公会堂でコンサート
する時に困ると言っていました。「オレの夢は渋谷公会堂で
ライブをする事だった」は様になりますが、「オレの夢は
C.Cレモンホールでライブ」ではちょっとねぇ。

2.オーヤンフィフィがデビュー35周年
 取材陣が28日に渋谷の「美味飲茶酒楼」で開かれた
デビュー35周年のパーティに行ってインタビューして
います。10分ほどのコーナーでした。

 台湾から日本に来て「雨の御堂筋」が大ヒットした訳ですが、
この時点では菲菲は日本語を全く知らなかったそうです。
当時の売り出し方には不満があったようです。

 このあたりの映像は「雨の御堂筋」を歌う菲菲。78年10月の
映像で、ちょうどシンシアが引退した頃ですね。続いて当時の
オリコンの順位表。「潮風のメロディ」が9位でした。その後、
新人賞で歌う菲菲のアップの白黒写真、三人娘のシングル
レコードが映ります。

 バックに「雨の御堂筋」の曲が流れる中、ナレーターが言います。

 「この曲でオリコンチャート9週連続一位を獲得し、レコード
大賞など新人賞を総なめにした菲菲さんは、翌年外国人として
初めて紅白に出場。しかし、当時は天地真里さん、小柳ルミ子
さん、南沙織さんら、清純派歌手の全盛期。

 デビュー当時、セクシー歌手のレッテルを貼られ、自分との
ギャップを感じたと言います」

 ここでインタビューの映像になり、菲菲は言います。

 「何でこの三人が純情娘でしょう。私だって純情娘だよ。
どうして私、セクシー。当時では、セクシーはあまりいい言葉では
ないでしょう」

 三人娘のシングルレコードは左から「ひとりじゃないの」
「私の城下町」「17才」と並んでいて、左から右にカメラが
流れます。

 興味深かったのは「17才」のジャケット写真でした。
「STEREO」と書かれたシールが貼ってあるんです。これは
初めて見ました。

 菲菲の成功により、アグネス・チャン、テレサ・テンなどの
デビューにつながったと番組は言っています。菲菲は35周年
記念コンサートを10年ぶりに開くそうです。

『ザ・ワイド』2006.9.22(金)映像 投稿者:トナカイ  投稿日:09月30日(土)11時45分0秒
ザ・ワイドで流れた「17才」のジャケット写真です。

南沙織 ベスト・オブ・ベスト 投稿者:Bello  投稿日:09月29日(金)08時19分51秒
長い髪と輝く瞳で多くのファンを魅了した南沙織。沖縄の
明るい太陽のような「17才」からレコード大賞歌唱賞受賞曲
「人恋しくて」まで、シンシアのヒット・シングルを集めた
ベスト・オブ・ベスト。 DQCL-1132 というのが発売されて
いました。ジャケット写真が可愛いです。(実物をみてませんが)

『華麗なる賭け』 投稿者:u3  投稿日:09月27日(水)07時28分2秒
本日9/27、NHK-BS2(11ch)で「風のささやき」が主題歌の
『華麗なる賭け』が放送されます。20:00〜21:45

http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=200&date=2006-09-27&ch=12&eid=31214

RE:朝日新聞夕刊のコラム「窓」にシンシアの名が 投稿者:u3  投稿日:09月27日(水)06時53分48秒
大阪朝日夕刊(4版)では第2面ではなく第16面(総合面)に
載っています。ちなみに、9/25の大阪朝日夕刊第2面は
「芸能PLUS」です。
夕刊がない地方もあります。9/26以降に載っていると
思われますのでご注意ください。

朝日新聞夕刊のコラム「窓」にシンシアの名が 投稿者:トナカイ  投稿日:09月27日(水)05時56分10秒
 朝日新聞夕刊2面の左下のコラムの全文です。2面は
政治面で、ここにシンシアというよりアイドルの名前が
出た事自体、朝日新聞創刊以来の出来事と思います。ただ、
少女漫画家で「花の24年組」という言葉はありますが、
「花の29年組」という言葉は、聞いたことがありません。
実際今時点では検索しても出てきません。

 “安倍氏と「花の29年組」”

 自民党総裁、安倍晋三氏は昭和29年(1954年)、午年
生まれの52歳。かくいう筆者も同じ年に生まれた。

 5・6歳の時に、日米安保条約の改定をめぐる騒ぎが
あった。安倍氏は祖父である岸信介元首相の家で、
デモ隊の声を聞きながら「アンポ・ハンタイ」と足踏み
して遊んだという(『美しい国へ』から)。当方にも
子ども同士で「安保ごっこ」をした記憶がある。同じ
29年組の日本共産党、志位和夫委員長はどうだったの
だろう。

 カラオケでの安倍氏の持ち歌が、ザ・ワイルドワンズの
曲だと知り、青春時代の歌を思い出した。高校生のころに、
「17才」の歌で鮮烈にデビューし、7年後に引退した
南沙織は29年組の1人だ。ほかにも松任谷由実、壇ふみ、
秋吉久美子、林真理子と才能豊かな女性が目立つ。

 全共闘時代のように世の中を驚かせた経験はなく、
かといって、自分の世界に生きるオタク世代や、
がっぽり稼ぐヒルズ族にもなりきれない。そこそこ個性を
発揮しながらも周囲に波風を起こさないのが、
「花の29年組」ではないか。

 だが安倍氏は閣僚人事や靖国問題で独断専行の流儀を
貫く気配がある。そうなれば、この世代観は改めねば
なるまい。

 国際社会では、ライス米国務長官、メルケル独首相、
反米の言動で知られるベネズエラのチャベス大統領が
同い年だ。北朝鮮に対してこわもての安倍氏もこういう
人々と比べると、まだ初々しく感じられるから不思議な
ものだ。(脇阪紀行)

朝日新聞2006年9月25日夕刊、第2面「窓−論説委員室から」

花の29年組 投稿者:373  投稿日:09月25日(月)17時29分47秒
朝日新聞夕刊
『阿倍新総裁は昭和29年生まれ。「17才」の歌で鮮烈に
デビューし7年後に引退した南沙織は29年組の一人だ。
ほかにも松任谷由実、壇ふみ、秋吉久美子、林真理子と
才能豊かな女性が目立つ』

シルバー仮面DVDボックス 投稿者:  投稿日:09月22日(金)21時25分1秒
お久しぶりです。
本日、『シルバー仮面』DVDボックス(ジェネオン
GNBD-7279)を購入しました。
シルバーに限らず、70年代のTVドラマ全般に思い入れが
あるので。
我等がシンシアは、第6回「さすらいびとの荒野」にゲスト
出演。解説書には、彼女を交えたカラースチールも2枚
掲載されています(撮影場所は、スタジオに近い狛江市民
グラウンド)。
なお第6回の解説文には、以下の記述もありました。
「第2回以降、下り坂だった視聴率が、第6回では10パー
セント近くまで上昇。南沙織出演の効果と、裏番組
『ミラーマン』が放送休止になったためと考えられる。
なお南条綾役の南沙織は、歌手デビューの直前、
『ミラーマン』のパイロットフィルムにヒロイン・ユミ役で
出演。しかもそのパイロットフィルムで鏡京太郎を演じて
いたのは柴俊夫であり、偶然とはいえ奇妙な因縁を感じ
させる。(以下略)」

C.C.レモンホール? 投稿者:betti  投稿日:09月21日(木)18時15分56秒
何か最低と言うか、水前寺清子のあのCMソングが流れ
続けるのでしょうか? それなら許す。

『紅白歌のベストテン』やっていたところですか?
完璧に記憶が曖昧です。

『ハロー・シンシア』では、「春の予感」と「街角のラブ
ソング」が好きですね。それから「傷つく世代」で砂浜を
サンダルもって走るところ。あの走り方には熟練が要り
ますね。まねしようとしたけど、できません。まねしたら
散々馬鹿にされましたけど…。

渋谷公会堂が「C.C.レモンホール」 投稿者:Bello  投稿日:09月21日(木)09時15分41秒
シンシアもコンサートをしていた渋谷公会堂が「C.C.レモン
ホール」に改称されるそうです。ちょっと淋しさを感じてます。

映像記録 投稿者:いね  投稿日:09月20日(水)22時20分33秒
個人的には、シンシア以外はみんな顔にぼかし、音声は
ピッチ変調(アヒル声)でもOKですね。

シンシアの画像 投稿者:御大  投稿日:09月20日(水)13時50分50秒
昨日、昔のビデオを整理していたら、『ハロー・シンシア』
の録画テープが出てきました。レーザーディスクからバック
アップ用にダビングしておいたものです。(再生機が壊れた
のでディスクそのものは友人に譲って、残っていませんが。
よく録っておいたものだなあ。)
本当に久しぶりに見ましたが、懐かしかった。でも、別の不満
がふつふつと湧いてきました。見られた方はお分かりでしょう
が、とにかく画質が良くない。不必要なオーバーラップや
ストップモーション等が多用され、落ち着いてじっくり
見るようには出来ていません。編集が雑なんですかねえ?
映っているシンシアそのものは、もちろん魅力的なんですが。
シンシアの画像は、各TV局の歌番組にたくさん残っている
はずなのに。特に画質の良いはずのスタジオ収録のものは、
ほとんど見たことがありませんねえ。ライブの収録画像も
きっと残されているはず、ですよね?
次は、ぜひ、シンシアの画像をたっぷり収録したDVDを
お願いしたいものです。著作権等難しい問題はあるで
しょうけど、他の歌手の場合もそれをクリアしてリリースに
こぎ着けているんだし。特に、スタジオ収録された昔の歌番組
(『夜のヒットスタジオ』『ミュージックフェア』等)の
じっくりと撮された画像を見たい。
SMEさん、ぜひ、よろしくお願いします。
このままでは、欲求不満が昂じるばかりでーす。

質問 投稿者:betti  投稿日:09月19日(火)21時12分39秒
マルベル堂にこだわるのですが…。
いつまで撮影を続けていたのでしょうか?。
ストレートヘアーのシンシアしかゲットできなかったのですが…。

意外なところで発見 投稿者:Bello  投稿日:09月18日(月)18時20分4秒
新宿の東急ハンズの文具売場で、なんとマルベル堂の
プロマイドが販売されていました。1人1ポーズだったけど、
ちゃんとシンシアのプロマイドもありました。

有線 投稿者:betti  投稿日:09月16日(土)11時47分6秒
御大さん、しょーもない戯言にお付き合いいただき
ありがとうございます。『冷凍保存』は酒井さんの発言です。
ところで、…、有線って最近記憶がないのですが…。
というか、リクエストしなくなったな…。
マルベル堂の食堂には有線があるのでしょうか??
あれば、チャンネルをお店におねだりして、みんなで
かけまくるとか!?
それをバックに、しゃべりあいたいですね。
7日に向けて、今最善の努力をしております。

拓郎ワールド映画になる 投稿者:>トナカイ  投稿日:09月15日(金)23時47分23秒
−拓郎ワールド映画になる… 20の名曲をバックに!−

 シンガー・ソングライター・吉田拓郎(60)の1972年の
ヒット曲をタイトルに冠した映画『結婚しようよ』が製作
されることが13日、分かった。拓郎ファンの佐々部清監督
(48)がメガホンを執る。主演は三宅裕司(55)で、フォーク
ソング全盛の70年代を過ごした「団塊の世代」の父親と
家族との愛情が、拓郎の代表的な約20曲とともにつづら
れる。来秋公開予定。

 「結婚しようよ」「人間なんて」「おやじの唄」―。約20の
名曲が全編を彩る「拓郎映画」が作られることになった。

 主人公は52歳のサラリーマン。学生時代はフォークソングに
影響されプロを目指していたが、今は妻と大学生の娘2人を
持つ。長女が結婚を決めたり、子供たちの自立で熟年夫婦の
生き方など「団塊オヤジ」たちが直面する悩みを盛り込んだ
内容となる。

 拓郎の楽曲は、ストーリーとリンクする形で登場。主人公の
青春時代や、娘のことで思い悩む心情が、拓郎の歌詞にのって
描かれる。これまで武田鉄矢主演の映画『刑事物語』(82年)
などで主題歌を手がけたことはあったが、約20もの楽曲が
挿入歌として使われるのは初めてとなる。

 「学生時代、僕たちの神様だった」という生粋の“拓郎
チルドレン”の佐々部監督は6月に“神様”と対面。拓郎
から「出演は勘弁して欲しいけど、曲でよければ遠慮なく
使ってください」とゴーサインをもらい映画化が実現した。

 「自主映画を作っていたころ、仲間たちといつか全編
拓郎でつづる映画を撮ろう、と酒を酌み交わした。30年
たって夢が実現する。吉田拓郎に乾杯!!」佐々部監督は
30年温めた企画に興奮を隠せない様子だが、拓郎も「映画
館で見たい映画がまた1本!」と完成を待ちわびている。
監督は31年ぶりに復活する23日の拓郎とかぐや姫との
ジョイントライブ「つま恋コンサート」を観覧し、気持ちを
高めていくという。11月初旬にクランクイン。来秋公開を
目指す。

 ◆吉田拓郎と70年代 学生運動が収束し始めた1970年、
拓郎は「イメージの詩」でデビュー。安保闘争での敗北感
と、米のヒッピー文化に影響を受けた若者の支持を得て、
マイナーだったフォークソングをメジャーに押し上げた。
―僕の髪が肩まで伸びて―の歌詞で知られる「結婚しよう
よ」(72年)は、男性側の求婚ソングとして当時は異例
だったが、大ヒットを記録した。

(2006年9月14日06時02分『スポーツ報知』)
 http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20060914-OHT1T00084.htm

 新聞の記事では、拓郎の出した曲の一覧が載っています。
74年には「シンシア」が。きっと映画でも流れるでしょう。
楽しみです。

◆betti さん 投稿者:御大  投稿日:09月15日(金)16時39分57秒
シンシアを「冷凍保存」には、笑ってしまいましたが。
分かります、その気持ち。まさに「世帯やつれ」からは程遠い、
成熟ぶりですから。

プレミアムを一通り聴き終えてしまい、欲しかったCDが
一気に全部そろってしまった反動(満足感?)からか、
もう中古CD店巡りやオークションに神経を使うことも
なくなったなあと、ある種の放心状態?が続いていました。
今日、昼食を済ませて店を出ようかなって思っていたら、
お店のラジオから聞き覚えのあるイントロが。そう、
大好きな「色づく街」です。あわてて、欲しくもないお茶を
もう一杯注いで飲むふりをして、結局、最後まで聞いて
しまいました。こうなると、ほとんど条件反射、パブロフの
犬状態ですね。色んな場面で、こういう事がしばしば起こります。

“シンシア・ストリート”によれば、幻のCD『close your eyes』
って、発売日も95年2月1日、ディスク番号もSRCL-3115と、
決まっていたんですねえ! そこまで進んでいたのなら、
どうして発売中止になったんだろう? ああ、本当にもどかしい。

昨日の 投稿者:betti  投稿日:09月15日(金)13時31分37秒
スマップ中居の番組での郷ひろみの扱われ方は一体何なの
でしょう?! 憤りを通り越しています。
シンシアを『冷凍保存』していてくれた篠山氏にある意味、
感謝です。エロ本を買えと、命令する方もするほうだし、
それを受け入れるひろみGOも。
『月の女神』ですよね、シンシアって。太陽が輝かなければ
光らない。キシンさん、どんどん良いお仕事をしてください。

マルベル堂 投稿者:betti  投稿日:09月08日(金)23時24分45秒
懐かしいですね。20年ほど前訪れたけど…。
1Fがレストラン??ちょと記憶が違いますね。
地下があって、そこで缶からの中にシンシアのがまだ
あって、買い漁ったような記憶が…。

実は4月の「歩み」のあと、浅草に友達がいるので寄った
のですが、マルベル堂は見つからなかったなぁ…。やっぱ
東京は変わっていました。7日の件ですが今思案中です。
また連絡します。

10月7日(土)に引退28周年の集まりをします。 投稿者:トナカイ  投稿日:09月07日(木)22時05分23秒
 シンシアデビュー35周年の記念すべき年も残り4分の1
近くになりました。怒濤のごとく色んな事がありました。
奇しくも引退した10月7日は土曜日です。そこでお知らせが
遅れましたが、集まってお祝いしたいと思います。

 今回は、浅草に集まろうと思います。「プロマイドの
マルベル堂」がある浅草にです。マルベル堂ではプロマイド
と言います。ブロマイドではありません。

 このマルベル堂、自社ビルを持っていて、そちらにスタジオ
があり、1階はレストランです。浅草を見物して、マルベル堂
に寄り、レストランで食事というプランを考えています。

 シンシアがプロマイド撮影のために訪れ、きっと食事も
したであろう同じレストランで洋食を食べながらシンシアに
ついて語り合いましょう。

 この間、下見に行ってきました。店内には多くのスターの
プロマイドが飾ってあります。残念ながらシンシアのは
ありませんでしたが^^;)

 10月7日(土)午前10時頃に浅草に集まりたいと思います。
夕方には解散予定です。皆さんの参加希望のメールを
お待ちしています。

 トナカイ:Cynthia17s@aol.com
 マルベル堂:http://www.marubell.co.jp/

麻丘めぐみ−思い出ギッシリ40年−連載10(日刊ゲンダイ2006.9.1金) 投稿者:トナカイ  投稿日:09月02日(土)10時35分28秒
“激しく特訓してくれた山岡久乃さんは私の理想の人”

 私の将来の夢は「かわいいおばあちゃん」になること。
そんなふうに思うようになったのは山岡久乃さんとお会い
したのがきっかけです。初めてお目にかかったのは、私が
ちょうど30歳を過ぎた頃。芸術座の『夢千代日記』で共演
しました。ところが、いただいた「金魚」という役が全然
できなくて、毎日のように演出家に怒られていた。そんな
時、突然、山岡さんが声を掛けてくれたんです。

 「あなた早く来れる? 私が稽古つけてあげるから」
って。何のことか分からず「お願いします」と返事したら、
それから毎日、早出の特訓。厳しかったですよ。よく
言われたのは「あなたには生活感がない」ってこと。
「そこで暮らしている人には思えない。ただ『麻丘めぐみ』
がそこに座って、言われてることをやってるだけ」と容赦
ありませんでした。でも、考えてみれば、山岡さんだって
忙しいのに、毎朝早めに来てずっと私に付き合ってくれて
いる。「どうしてこの人は私にこんなに良くしてくれるん
だろう」と、ありがたさでいっぱいでした。

 その後もなにくれとなく面倒を見ていただき、別の舞台の
名古屋一ヶ月公演でもこんなことがありました。実は私、
一ヶ月もホテルにいると「寂しい病」にかかっちゃうん
です。生活の匂いのしないところは苦手なんです。そんな
ことを山岡さんに相談したら「じゃ、私が名古屋公演の時に
使っているマンションがあるから、そこを使いなさい」
って、大家さんを紹介してくださった。

 そうかといって、普段はベタベタしてないんですよ。
ご飯を食べたことも、飲みに行ったことも一度もありません。
きっと、私に負担をかけちゃいけないって気を使って
くださったのだと思います。だから、1999年に亡く
なられた時は涙が止りませんでした。そんな中で思った
のは「山岡さんのようになりたい」ということ。どこまで
近づけるか分かりませんが、それがせめてもの恩返しと
思っています。(おわり)

 麻丘めぐみ−1955年、大分生まれ。3歳の頃から子役と
して芸能活動を始め、16歳で歌手デビュー。一時、
活動を休止した後、女優として活躍中。9月1日から
博多座『母に捧げるラストバラード』に出演。

 (博多座:http://www.hakataza.co.jp/kouen/index.html

麻丘めぐみ−思い出ギッシリ40年−連載9(日刊ゲンダイ2006.8.31木)  投稿者:?M=BMFO&CID=920&BD=7&CH=5&OF=150">トナカイ  投稿日:09月02日(土)10時31分8秒
“「芝居」にハマるきっかけになった佐藤B作さんの一言”

 実は私、ここ数年「演劇製作」にハマっています。それも、
「女優」としてはもちろん、「裏方」として。「シアター・
ドリームズ・カンパニー」という演劇集団を6年前に立ち上げ、
それこそ、脚本の選定、演出からポスター製作、稽古場の予約
など何から何までやっています。もう楽しくてたまんない。

 いろんな人に応援していただいて、そんな中でも後押しを
してくれたのが「東京ヴォードヴィルショー」の佐藤B作さん
です。B作さんとは今から10年前、『父に捧げる子守唄』と
いう舞台に出させていただき、知り合いました。ちょうど
私が40歳の頃。それまでの30代って、実はアレコレともがき
苦しんでいたんです。

 27歳でカムバックしてのはいいけれど、女優として若い
わけじゃないし、かといってちゃんとしたオバチャンが
できるわけでもない。周囲の人には「アイドルの頃と
変わらないね」って言われていましたが、それがいいのか
悪いのか、どこかスッキリしませんでした。

 ちょうどそんな時期に出会ったのがB作さん。芝居づくり
をやっている姿がいかにも楽しそうで、ある時、そんな話を
切り出してみたんです。「百パーセント燃焼しきれるものが
ない」って。B作さんの答えはこうでした。「だから、オレ
たちも劇団をやっているんだよ。納得できる物をつくろうと
思ったら、ゼロから立ち上げるしかない。芝居をちゃんと
やりたいと思うんなら、自分から発信するしかないんだよ」

 雷に打たれたような気分でした。今までは頂いた台本の
役をやってたけれど、やっぱり自分でリスクを負わないと
ダメなのかなと痛感しました。以来、「裏方」にどっぷり、
というわけです。

 もちろん、今でもB作さんの劇団の芝居は必ず見にいき、
飲んだりもしています。きのうお話したラサール石井クン
たちも交えて、その辺の居酒屋さんで。それにしても、
どうして劇団の人ってあんなにお酒が好きなんでしょう。
私は「芸能界・居酒屋チーム」と呼んでます。

 (シアター・ドリームズ・カンパニー:http://www5b.biglobe.ne.jp/%7Eiku-net/

麻丘めぐみ−思い出ギッシリ40年−連載8(日刊ゲンダイ2006.8.30水) 投稿者:トナカイ  投稿日:09月02日(土)10時28分47秒
“5年間ぐらい私の目を見てくれなかったラサール石井さん”

 ラサール石井さんは私の「心の友」、芸能界で一番仲の
いいお友達です。最初に会ったのは私が27歳でカムバック
した頃だから、もう20年以上前。バラエティでご一緒した
ときに、「昔、ファンだったんです」って言ってくれたのが
きっかけで親しくさせていただいています。

 でも石井クンっておかしいの。知り合ってからしばらくの間、
私の目を見てお話してくれないんですよ。いつも目を伏せ
ちゃう。私は相手の目を見てしゃべる方だから、本人に
言ったこともあるんです。「どうして目を見てくれない
の?」って。石井クンは照れながら、「それはねぇ、ボクに
とってはなかなか大変なことなんだよ」なんて言ってました。

 普通にお話できるようになったのは、5年ぐらいたって
からかな。それまでは周囲にコント赤信号の人や劇団の人が
いましたが、たまたまその時は2人でラーメンを食べに
行くことになっちゃた。最初は石井クン、ぎこちなかった
けど、お酒が回るにつれて、チラッ、チラッと私の目も
見てくれるようになりました。

 何が意気投合したかって、芝居の話。今はもう立派に
演出家としての地位を得ている石井クンは、当時から
小劇場などで演出を手がけていました。私はカムバック
してから「女優」として悪戦苦闘していた。だから芝居で
何かつまずくたびに、「ねぇ、話聞いてくれない?」
って呼び出していたんです。そういう時は、決まって
石井クンの芝居にかける熱い思いを聞いては何度も
励まされました。

 だから、最近、石井クン演出の舞台を見ていると、
涙が出てきちゃう。あれから、どんどん演出で実力を
発揮して、今では新橋演舞場みたいな大きなところで、
中村勘三郎さん、池乃久里子さん、藤山直美さんたちの
演出をしているかと思うとうれしくて。ちょうど、
頑張っている同級生を見るようで、感激しちゃうんです。

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